お釈迦様の生涯を八つの場面で表す
「釈迦八相」。
奈良市の薬師寺西塔に、悟りを開いた
後の「果相」を表現した壮大なブロンズ
のレリーフ4面が安置されたそうです。
お釈迦様は二つの問い、「私とはいったい
何者か」「私はいかに生きるべきか」に
ついて、徹底的かつ具体的で合理的に
考えたといいます。
その思索の対象、それは徹頭徹尾「人間」
でした。今ここに生きている「私自身」、
「個としての人間」のことですね。
でした。今ここに生きている「私自身」、
「個としての人間」のことですね。
その学びは、人間についての哲学、すなわち
「人間学」。(人間学の勉強会を主宰している
ものとして、あらためてその大事さを自覚します)
「人間学」。(人間学の勉強会を主宰している
ものとして、あらためてその大事さを自覚します)
「内省で得る気づき」は成長を促すもので
あり、そのためには「良き問いを立てる」こと
が大切であるとお釈迦様から学べます。
昨日のネクスファ「サス学」は、子どもたち
が「木について自分が知りたいこと」を挙げ、
問いを立てて、自分なりの答えを生み出す
ための仮説を持つ練習。
現代は、スマホやPCで、より簡単に早く、
正解が得られる便利な時代。何か分からない
こと、知らないことがあっても、ネットで検索
すれば、すぐに答えが見つかる。
子どもたちに尋ねると、wikipediaを見る、
google検索で上位に出てきたものから
複数見て、多く目にした情報が答えだろう
と思っているとのこと。
が大切であるとお釈迦様から学べます。
昨日のネクスファ「サス学」は、子どもたち
が「木について自分が知りたいこと」を挙げ、
問いを立てて、自分なりの答えを生み出す
ための仮説を持つ練習。
現代は、スマホやPCで、より簡単に早く、
正解が得られる便利な時代。何か分からない
こと、知らないことがあっても、ネットで検索
すれば、すぐに答えが見つかる。
子どもたちに尋ねると、wikipediaを見る、
google検索で上位に出てきたものから
複数見て、多く目にした情報が答えだろう
と思っているとのこと。
これは子どもに限らず大人でもそうかもですね。
そんなことが当たり前になってきている現在、
分からないことがあればすぐに検索に頼って
しまう人が増えるのは時代の流れ。
しかし、検索したからといって、必ずしも正解
にたどり着けるわけではないともいえます。
正解に行き着くことももちろん。
便利なようで、実はリテラシー(物事の読みにたどり着けるわけではないともいえます。
正解に行き着くことももちろん。
解き力)が下がってきている時代なのかも
しれません。
「サス学」の現場で子どもたちと接していて
感じることは、だいたいどの子も真面目に
与えられた課題に対して、指示されたこと
はコツコツ取り組みます。
しかし一方で、自分なりの意見を述べたり、
それを根拠づけるために学習の成果を
活用することには慣れていないことが
わかります。
一つの正解をいかに沢山、早い時間で覚えて
いるかの競い合いですね。
”経済が成長していた時代では、「モノ」が人を
幸せにしてくれました。テレビが、冷蔵庫が、
洗濯機が、車が、パソコンが、人を確実に
幸せにしました。
だから、経済的に豊かになることを「みんな
一緒に」目指して、一生懸命に働いてモノを
買ったのです。
しかし時代は変わりました。
モノがあふれ、日用品はコモディティ化が激しく
なり、もはやモノは僕たちを幸せにしてくれ
ません。テレビが5ミリ薄くなっただけじゃ、
僕たちは満足できないのです。
高度成長期において大事だったのは、「正解
を早く正確に言い当てる力」でした。
国語のテストならば主人公の心情を選択肢から
選び出し、歴史のテストならば記憶した年号を
素早く引き出すこと。
それらを徹底的に反復し、早く正確に正解を
出さなければならない「情報処理力」が必要と
されたのです。
しかし成熟社会においては多様な解が存在
しています。正解ありきで、ただ経営者が
走れば良いような時代ではありません。
学校の現場において、いじめの一つをとって
も、正解が一つなどということは無いのです。”
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