『ディバイドからコネクトへ』

NPT=核拡散防止条約の再検討会議
中東の非核化構想を巡る対立から最終
文書を採択できずに22日閉幕。

その日、東証1部の時価総額は約591兆円
となり、1989年12月の「資産バブル時」
ピークを越えました。

















しかし多くの国民や地方・中小企業が景
気回復においていわば置き去りにされて
いる中、株価の先高観ばかりが広がって
いる現況は、バランスがとれた望ましい
ものだとは決して言えません。

かつて実体を伴わないバブル経済は沸騰
最終段階で、1990年12月29日に38,915
円の歴史的高値をつけ、その後はじけま
した。

日本のバブル崩壊はニューヨークのブラ
ックマンデーより2年も後で、べルリン
の壁崩壊よりも2ヶ月後のこと。

日本は、ベルリンの壁崩壊の歴史的意味
とその重要性に気づくのが欧米よりも随
分遅れ、後々まで大きく影響を受けたと
いわれています。 

ベルリンの壁崩壊はすなわち、東西冷戦
の終結であり、東欧と中国の安い労働力
が安い商品の供給という形で大量に自由
経済市場に流入することを意味しました。 

結果としてデフレで物価が下がるととも
に、世界規模での経済大競争時代が到来。 

それを見越して欧米はビッグバンと言わ
れた戦略を大胆に実施、自由・公正・国
際化を徹底的に推進します。

日本がその重要性に気づいたのは欧米に
遅れること10年の1996年でした。
ブログ『「レッドオクトーバーを追え」と東西冷戦の崩壊』

目先の事がらや利益に囚われずに、未来
に目を向けた持続性ある視点と方策
考えることの大切さをつくづく感じます。

石倉洋子・一橋大学名誉教授が言われる、
「ディバイドからコネクト」が今後重要に
なることでしょう。

”私は「ディバイド(断絶)からコネクト(
つなぐこと)」と言っているのですが、これ
からは、自社内や国内という断絶した
世界だけでなく、世の中のさまざまなもの
とつながることが大切だと考えています。”





















”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”