『コネティカット(Connecticut)』

■「Connect/I/Cut」

『つないで切断し、切断してつなぐ。ネットの村祭りの熱狂から一歩引いたクールなコミュニケーション が重要です。』

そう語るのは、浅田彰さん。社会や思想の枠組みが 揺らぐ時代、人々は前向きに逃げたり、自身の立ち 位置をずらしたりして、新しい創造や取り組みへ 向かおうとしている、という著書「逃走論」(1984 年)は出版当時、とても話題に。  

その浅田さんの記事を久しぶりに見て、逃走論とは 闘争論につながるものであったことを知りました。 『「逃走論」、ネット社会でも有効か 浅田彰さんに聞く』 

 ■資本主義とSNS 

一人ひとりの役割や位置付けが決まっており、上下の関係が明確になっているタテ型の社会は、インターネット技術の発展によるSNSの普及に後押しされたヨコ型社会へと変わりつつあります。

しかし一方でこのSNSには、イイね!の数を競ったりストレスを生み出すという副作用も。そしてそれは、グローバル資本主義によるもの と浅田さんは指摘。  

『冷戦終結以降、急速にグローバル化した資本主義の力は恐るべきもので、逃走の試みの多くは資本主義にのみ込まれた。そこには情報技術のもたらしたネット社会の問題もある。

横のつながりが容易になったが、 SNS上で「いいね!」数を稼ぐことが重要になった。人気や売り上げだけを価値とする 資本主義の論理に重なります。 

 他方、一部エリートにしか評価されない突出した作品や、大衆のクレームを招きかねないラディカルな批評は片隅に追いやられる。 サルの群れのグルーミング(毛づくろい)の ような仲良しのコミュニケーションが重視され、自分と合わない人はすぐに排除するんですね。』

■波に乗り、離れる 

冒頭で紹介した浅田さんの言葉。「コネティカット(Connecticut)」 =「Connect/I/Cut」 

 ヨコ型社会では、多数のコミュニティーが うまれ、簡単につながることができる。しかし浅田さんが言うように、『ネット社会で 様々な帰属先を持つことで複数の「私」がある といっても、複数の「私」の束という多重人格 的なあり方では逃走さえできない。』


この人生を生きる主役として、用意された流れにただ身をまかせるような従たる存在ではありたくない。 つないで切断し、切断してつなぐ。

ネット社会 の波にただ飲み込まれるのでなく、波の正体を見極めて時には乗り、そして離れてまた乗る ことができるよう、己の心は自由にありたい。 

『ときには危険を冒して接続を切り、ネット村 から逃走する必要がある。そのとき 「Connect」と「Cut」の間に「I (私)」が発生するのだ。』

 

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”