『身体知には敵わない』

”コミュニケーションとはディベート力のことではなく、

「節度」「察する力」である”


内田樹氏(哲学研究者、武道家)の言葉に、思わず反応。

「ディベート」とはご存じの通り、討論のこと。

学校教育では特に、提示した主題につき肯定側・否定側に

分かれて討議するという仕方で、只今多くの現場で

取り入れられています。

榎本博明氏(心理学博士)は、著書「ディベートが苦手、

だから日本人はすごい」の中で、以下のように述べています。


”英語では普通の表現でも、日本語で言うと角が立ちます。

「あなたの言っていることに私は同意できません、なぜなら…」と言えば、

日本語だとかなり失礼だと受け取られかねない。

日本語であれば「そうかもしれませんけど」とか

「そういう見方もあるとは思いますが」とか言いつつ、

相手に気づきを促すようなスタイルを取りますよね。”

議論では白黒がつかず、対話を用いることで相手と自分の

異なる点、同調できる点などが理解でき、互いに

歩み寄る余地が生まれます。


わかっていることは世の中全体の一部でしかないことを

自覚し、わからないことを少しでも理解するように努める。

簡単なようで、意識しなければなかなか難しい。


”「わかった」と思った瞬間に、それは視野から消えて、

わかんない問題だけが目の前にあるわけで。

わからない問題をいっぱい抱えている人が

知的に活発な人なんです。”(内田氏)


やはり身体知で理解されている方には敵いませんね。

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”