2月11日は「建国記念の日」。
日本の建国を祝う祭日として、明治6年の1873年に定められました。
「建国記念の日」であり、「建国記念日」ではない。
なぜ、「の」が間に入っているのでしょうか?
本郷和人さん(東京大学史料編纂所教授)の解説によれば、
「聖徳太子」と「辛酉大革命」が大きく関わっているそうです。
辛酉は古来中国で天命が改まる年とされました。即ち、王朝の
交代とな革命の年。日本では、政治的変革が起るのを防ぐこと
を目的に、辛酉の年に改元する習わしが明治になるまで続けられた
といいます。
『「辛酉(かのととり)」は革命の年とされています。
これは、中国由来の考え方で、漢の時代に生まれた儒教の
考え方をまとめた書物『緯書』で唱えられた予言「讖緯説」
に由来するものです。
「讖緯説」によれば、60年に1回の辛酉の年には、何かしら
革命が起こる。さらに、60年が21回続いたときの辛酉の年
には、ただの革命ではなく、とてつもない大革命が起こる
と言われていた。60年×21回ということは、1260年に1回の
ペースで大革命が起こるという計算になります。
その説に基づき、明治初頭の歴史学者たちは「前回、大革命
が起こった辛酉の年はいつだったのか」を検証します。
そして、「聖徳太子がいた頃に起きた辛酉が、大革命の年
だろう」と結論づけたのです。なぜ、聖徳太子がいた頃に、
大革命が起きたとされたのか。その理由は、当時の日本
では、日本の基礎を作ったのは聖徳太子だと考えられて
いたからです。
「聖徳太子がいた時代こそ、日本という国ができた年である。
日本ができた年こそ、辛酉の大革命が起こった年である。
では、そのもう一つ前の辛酉の大革命の年とは何だ?
聖徳太子クラスの人物の関与ということであれば、こここそ
が、神武天皇が即位した年次であるに違いない」と、明治の
歴史学者たちは考えた。』
詳しくは、コチラ(日本に「建国記念日」が存在しない本当の
理由)をお読みください。
その後、戦後はGHQの意向もあり、建国記念日はなくなります。
そして1966年、「建国記念の日」が制定される際、神話の
世界の話を元にした「建国記念日」とは言えないため、
大人の配慮の結晶として、「の」という一文字が入れられる
ことになったそうです。
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