「素直な心」というものについて、松下幸之助翁が生前に語られた言葉を紹介します。
翁が、人というものを慧眼でとらえていた本質的な言葉。
翁が、人というものを慧眼でとらえていた本質的な言葉。
「素直な心になったならば、物事の本当の姿を見る、物事の実相を見るということは、やはり一つには、よいものはよいものと認識し、価値あるものはその価値を正しく認める、といったことにもなるのだろうと思います。
だから、よいものをよいものと認識し、受けとめるというような態度は、結局のところ、 その根本は素直な心の働きのあらわれの一つということになるのではないかと思います。
素直な心が高まったならば、お互い人間が本来備えている広い愛の心、人間心というもの、
なにものに妨げられることなく、そのまま十二分に発揮されるようになるのではないかと思うのです。
そして他の人が困っているのをみればこれを助けよう、苦しんでいる人があればなぐさめよう、そしてみんなが ともどもに楽しく明るく生きてゆくことができるように、 互いに大切にしあい生かしあってゆこう、というような考えを もつようになってゆくのではない
でしょうか。
すなわち、素直な心になれば、人間本来の広い愛の心、慈悲心が働いて、みながともどもに明るく幸せに生きてゆくことができるような姿が生まれ、高まってゆくのではないかと思うのです。素直な心というものは、そういう広い愛の心、慈悲心にもつながっていると思います。」
幼少の時は、素直な気持ちを持ちえているのが、なぜ成長し大人になるにつれ、この素直さから離れてしまうのでしょうか。翁のこの至言を読み返す度に、深く考えさせられると共に、心のありかたの原点を教えられます。
だから、よいものをよいものと認識し、受けとめるというような態度は、結局のところ、 その根本は素直な心の働きのあらわれの一つということになるのではないかと思います。
素直な心が高まったならば、お互い人間が本来備えている広い愛の心、人間心というもの、
なにものに妨げられることなく、そのまま十二分に発揮されるようになるのではないかと思うのです。
そして他の人が困っているのをみればこれを助けよう、苦しんでいる人があればなぐさめよう、そしてみんなが ともどもに楽しく明るく生きてゆくことができるように、 互いに大切にしあい生かしあってゆこう、というような考えを もつようになってゆくのではない
でしょうか。
すなわち、素直な心になれば、人間本来の広い愛の心、慈悲心が働いて、みながともどもに明るく幸せに生きてゆくことができるような姿が生まれ、高まってゆくのではないかと思うのです。素直な心というものは、そういう広い愛の心、慈悲心にもつながっていると思います。」
幼少の時は、素直な気持ちを持ちえているのが、なぜ成長し大人になるにつれ、この素直さから離れてしまうのでしょうか。翁のこの至言を読み返す度に、深く考えさせられると共に、心のありかたの原点を教えられます。
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