『公の器』

『会社とは人形浄瑠璃の人形と同じです』

池上彰氏との対談で、こう語るのは
岩井克人氏(国際基督教大学客員教授)。














『なぜなら、単なる「法人」にすぎないからです。
法律の上では人間ですが、実際は契約に署名する手も、
従業員を管理する目も、裁判で訴える口もない。

会社が経済という舞台でちゃんと演技するためには、
それを人間のように動かす浄瑠璃使いが絶対に
必要なのです。
それが経営者なのです。』


岩井氏によれば、人形浄瑠璃の人形に
例えられる会社が、法律で人間として扱われるのは、
社会に対して何らかの意味でプラスの貢献をすると
期待されている
からだといいます。

昨年発覚した日本企業の不祥事
上場企業の経営者による不可解な取引が相次ぎました。

オリンパス経営陣の不透明な巨額報酬支払い、
大王製紙元会長の巨額借入。

8,000億円の売上計上のオリンパスと、
4,000億円の売上計上の大王製紙は、
世界の中でも優良企業の部類に入っていた企業。

両社とも東証1部に上場し、国内最大級の監査法人
が監査を務めていたのです


社会から見たイメージでは、両社ともクリーンで民主的に
経営意思決定が行われているように思われていました。

しかし、必ずしもそうでなかったことが、今回の不祥事で
明らかに。

企業のコンプライアンス(法令順守)やガバナンス
(企業統治)が徹底していなかった
点は深刻。

両社において、従業員たちは皆決められた制度に従い、
粛々と守ってきたことと思います。

経営者は、常に「企業は公器である」こと
を肝に銘じてほしいもの。日本の企業統治への信頼
低下すれば、海外からの投資にも悪影響があります。

悪弊の多い「ムラ意識」とは、
しっかり決別する覚悟が問われているはず。

















ハーバード大学大学院で米国経済学の最前線
を学び、細川内閣と小渕内閣では経済改革の
急先鋒として、規制撤廃を叫んでいた中谷巌氏


やがて新自由主義と市場原理主義の暴走に、
ついに転向を決意
して、反旗を翻しました。

”ソニーの社外取締役実業の社会に身を投じて
みると、すでに日本企業や産業界のそこかしこ
に過剰な金融主義と過度の自己保身主義が
蔓延しつつあること、

コーポレート・ガバナンスと言われている背景
ではたんに経営陣の高額報酬がアメリカに追随
しておこなわれようとしていたこと、

その裏では派遣社員などによる労働市場の
薄っぺらな補強ばかりが進行していたことなど、
どうもおかしなことばかりがおこっている。

そういうことが見えてきた。

副作用もおこっていた。不良債権の掃除をした
はずの経済は不安定になるばかりだし、格差は
拡大するばかり、環境破壊にも歯止めがかから
ない。

「構造改革なくして成長なし」というスローガン
はあまりにも空しいものだった。”

資本主義はなぜ自壊したのか














中谷さんは行き過ぎた資本主義はいったいどこ
に問題があったのかを探ります。

”米国なのか。米国の傲慢なのか。米国が生んだ
新自由主義という思想やしくみなのか。

あるいは厚生経済学の行き過ぎなのか。それを
信じた世界の経済社会のありかたなのか。ドル
が基軸通貨であることなのか。

それとも資本主義そのものに大きな欠陥がある
のか。それは市場原理万能主義というものなの
か。”


そして、それらのいずれにも少しずつ問題があった
といいます。

貧富の格差が大きく広がる社会で、つながりや
将来の展望がきわめて不透明
になってきた今、

中谷さんは、1億人をこえる日本人が
十把一からげの政策や地域自治や福利厚生
の傘の中に入っていることが問題
だと捉えるよう
になりました。

そして新たな社会や文化を守ったり作ったり
していくということを考えるのなら、
道州制でなくもっと小さな行政単位と介護や
医療や生活や文化
が取り組まれるべきであり、

その「小さな領域」をダイナミックにつないでいく
方法が必要
だと考えます。














”自由とは禁断の果実であり、ひとたびその美味
しさを知ってしまった人間が自らを抑制するほど
賢くなっているかどうかは疑わしい。

となれば日本としては、グローバル資本主義から
受ける傷を最小化するため、まずは自国単位で
できることは徹底的にやるべきであるとするしか、
道はあるまい。”


「徳の高い者には高い位を、功績の多い者には報奨を」

稲盛和夫さんは「企業不祥事とリーダーシップの関係」
について語った講演の中で、リーダーの選任にあたって
最も大切なこと
は上記であると述べています。

約130年前、西郷隆盛という傑出したリーダーが、
明治維新という革命を成し遂げ、日本に近代国家
への道を切り開きました。
 
南洲翁は私心のない清廉潔白なリーダーですが、
高い地位に昇格させるのは、あくまでも「人格」を
伴った者であり、すばらしい業績を上げた者の労苦
には、金銭などで報いるべきだ
と。

そしてリーダーの出処進退は大変難しいものですが、
安岡正篤師「進むときは人に任せ、退くときは自分で
決めよ。それこそがその人の器である」
と言われました。

グローバル化が避けて通れない現代で、国際
ルールを逸脱した企業は、世界的にも信用失墜

免れません。

企業統治の確立には、経営者や役員の意識
改革
が何より欠かせませんね。
 

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”