『あのころの子どもたちには笑顔があった』
子供好きだった土門拳さんは、各地の取材先
で偶然出会った子どもたちに寄り添いながら
カメラを向けます。
子供好きだった土門拳さんは、各地の取材先
で偶然出会った子どもたちに寄り添いながら
カメラを向けます。
冬枯れの田んぼに寒々と立ち尽くす東北のこども。
父は失業、母は出稼ぎでいない家を守る筑豊の
姉妹。
原爆ケロイド症の手術が失敗に終わった広島の子。
紙芝居の自転車に群がる東京・月島のこども。
越中ふんどしで水遊びをする伊豆のこども。
銀座の路上で寝る孤児。
今はもう見られなくなった昭和の実像が、有無を
言わせぬ迫真力で、貧困、悲惨、悲哀、孤独、
忍耐、無邪気、歓喜を語りかけてきます。
どの1枚にも、撮影者を意識したポーズや撮影者
自身の作為が感じられません。
戦後、復興の苦しい社会状態の中、
貧しくても、物がなくても、思いっきり笑い、
思いっきり泣き、思いっきり遊んでいた、
子どもたちの表情はなにしろ明るい。
『こどもたちというものは、よその土地からきた
ぼくのような闖入者をはじめは警戒したり、
物珍しげにまわりにたかったりするが、
カメラを見せたり、ファインダーをのぞかせたり
して、一通りの彼らの好奇心を満足させて
やると、すぐに飽きてまたもとの遊びに戻って
しまう。
もとの遊びに戻った彼等は、もはやぼくの存在
など眼中にない』
お祭りの余興の前で、はじけるように笑っている
こどもたち。
シンコ細工の職人の手元に見入る学校帰りの
少年。
みんながお弁当を食べている教室で、ただ一人
「少女ブック」を広げる少女。
駅のベンチで大きな荷物を枕に眠る「かつぎや
の子」。
復興が進み、世の中が経済成長し発展していく
中で、子どもたちを見る土門さんの言葉は重く
なっていきます。
『ぼくは子供の写真をずいぶん撮っている。
筑豊でも、理由はともあれ、子供に視点が
向いたのは、やはり子供にひかれたからだと
思う。
しかし子供の写真でも、今はかつて撮った
ような子供の写真はもう撮れない。
天真爛漫な子供、子供らしい子供は、今の
小学生の中から見いだそうとしても、もう
みつからない。
試験、学習塾というような、子供を締め
付ける社会の風潮が、子供から子供らしさ
を奪ってしまったのである。
だからある時期からぼくの子供の写真は、
子供といっても、単に天真爛漫な子供と
いうより、社会の歪みが子供の世界まで
おしよせ、そうさせている子供を撮るように
なってしまった。』
天真爛漫な子供、子供らしい子供、屈託の
ない笑顔の子供。
子どもたちが生き生きとできる世の中であった
と単に過去を懐かしむだけでなく、現代社会
の中でどんな共創ができだろうか?
そう思いながら、子どもたちの「未来を生きる力」
の一助となることを願い参画している「サス学」。
これからもより工夫しながら、子どもたちと楽しみ
つつ、自分たちが生きる社会の一隅を明るく
照らせるように進んでいこう。
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