江戸時代の禅僧・盤珪禅師や白隠禅師と同様に、
平易な日常の言葉で仏法を語り、 大衆教化に生涯を貫いた臨済宗の
山田無文老師。
「昭和の名僧」と呼ばれ、市井の人々から「無文さん」と親しまれた禅僧。
無文老師は「日々新又日新」の言葉について、次のように説いています。
”中国紀元前千六百年頃、殷王朝の初代帝である湯王は
この言葉を自分の洗面器の盤に刻み、毎朝顔を洗うたびに
自分の戒めにしたそうです。
意味は「毎日毎日を新しい日として迎え、その一日を意味あるものにして刷新、進歩を間断なく試み、修養することが大切」ということ。
「苟に日に新たに、日々に新たにして、又た日に新たなり」毎日新しい心で、ということは何にも一物も持たない
心で新しい世界に触れていくならば、この世界は新しい。
昨日の太陽が出ておるようだけれども、厳密に言うたら、
あれだけ熱量を発散したら昨日の太陽と今日の太陽とは熱量が違うはず
である。庭の草木を見たって、毎日朝顔のつるが伸びておる。昨日咲いた花は今日は咲かん。
水の流れは毎日違っておる。自然の世界は毎日新しい。
人間の心だけが古いところにこだわっておる。
それが病気であります。
自然だけじゃない、われわれの体でも新陳代謝して、
昨日の細胞と今日の細胞とは違うのです。
すべてが新しくなっていくのだから、心も新しくして、
昨日のことは忘れて、昨日喧嘩したことは忘れて、
昨日人を恨んだことは忘れて、憎いことも嬉しかった
こともすべて忘れて、新しい心で今日を迎えていくということが、
道というものであります。
それが本当の人間の生き方であり、正しい生き方であります。記憶を捨てるわけにはいかんが、それは過去のこととして
眺める心のゆとりが出てこんといかん。
水のような心の修行をしていくならば、そのまま仏だ。
何も無理に坐禅をなさらなくてもよろしい。古いものをさっさと捨てていける心の切り替えのできる稽古をする。
今腹を立てたけれどもすぐ横を向いて笑っておれる。
こういう切り替えができるならば、そのまま仏である。”無文老師は、法律家を志して早稲田中学校に入学しましたが、
期するところがあって仏教を学ぼうと東洋大学印度哲学科に入学し、
チベット探検家であり、有名な仏教学者であった河口慧海師に師事します。
しかし、せっかくの縁を結びながら、まもなく結核を患い、郷里で療養する
ことになってしまいました。同じころ、兄も同じ病気にかかります。
そして無文老師よりも軽い症状だった兄が他界します。「自分もそんな長生きできる人生ではない」
孤独な療養生活を無文老師は送ります。
ある日、無文老師は庭の隅の南天に吹いてくる風のそよぎに、
「こんな気持ちのよい風に吹かれるのは何カ月ぶりだろう」と思いながら、
忽然として 「ああ、一人じゃなかった。孤独じゃない。大いなるものが片時も離れず、私を守り育ててくれているのだ」
と感じ取り、その心境を歌に託します。
「大いなるものにいだかれあることを けさふく風のすずしさに知る」
生きる勇気をつかんだ無文老師はやがて、郷里の近くの
金地院・河野大圭和尚に出会い、「枇杷の葉療法」を授かり、
同時に白隠禅師の「内観法」も取り入れて、奇跡的に自らの健康を
回復させました。枇杷の葉療法とは、葉三枚に墨で経文(薬師陀羅尼を真っ黒になるまで
書き、その経文を唱えながら温めた葉を腹全体にこすりつけるように
長い時間をかけて撫で回す。気海丹田(下腹部に力を込める)
にもつながる呼吸法だといいます。それを無文老師は毎日行い、やったあとは体温でカラカラになった
葉っぱを火にくべて、その煙で静かに坐禅をしたそうです。
「水のごとくに」(山田無文)
水のごとく よどみなくさらさらと流れたい。
どんな良いことがあっても、どんな悪いことがあっても、
うしろをふり向かずに、前へ前へ、さらさらと流れたい。
左右の岸にどんな美しい花が咲いておっても、
どんなに楽しく小鳥が鳴いておっても、
その美しさをほめながら、その楽しさをよろこびながら、
足ぶみせずに流れよう。
流れる水は凍らぬとか。流れる水は腐らぬとか。
それが生きておるということであろう。
田畑をうるおし、草木を養い、魚を育てながら、
決して高きを望まず、低い方へ低い方へ、
水の流れる如く、わたくしも流れたい。
「苟に日に新たに、日々に新たにして、又た日に新たなり」
毎日新しい心で、ということは何にも一物も持たない心で
新しい世界に触れていくならば、この世界は新しい。
己の課題にしっかり向き合いながら日々を生きていこう。
大いに励まされる言葉です。
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