「国家100年の計は人にあり」といいます。
教育基本法の改正が国会にてしばしば論議されて
きていますが、「人づくり」の本質をふまえてのもの
ではなく、これまでの焼き直しをいかに行なうかと
いう表面上のやりとりに見られてしかたがありません。
教育基本法の改正が国会にてしばしば論議されて
きていますが、「人づくり」の本質をふまえてのもの
ではなく、これまでの焼き直しをいかに行なうかと
いう表面上のやりとりに見られてしかたがありません。
歴史に学ぶという大事な視点から、一つの例を
挙げます。
江戸時代中期、肥後の国(熊本)の藩主である、
細川重賢は、「時習館」という藩校を設立し、
秋山玉山という人物を初代校長に任ぜます。
任せるにあたり、重賢は玉山に次のようなこと
をお願いしました。
『先生は国家の名大工であり、木づくりの名人
だと思います。
したがって、教育にあたっては、人づくりは
木づくりと考えていただけますか。
そのために、木配りを大切にしてください。』
この「木配り」とは、学ぶ子が、杉なのか、松なのか、
欅なのか、樫なのか、など何の木にあたるかを確定する意。
樹木の種類が違えば、当然その性質は異なるもの。
養育の方法はそれに合わせて、施肥の仕方、剪定の
仕方などを変える必要があります。
つまり、重賢は教育にあたって、
『一本一本の木の性格が異なるように、その木に
見合った教育をしてほしい』ということを依頼したのです。
ここから少し日本の教育の歴史(江戸~現代)を紐解いて
みます。
江戸時代、武士を対象とした教育機関として「藩校」が
ありました。各藩の武士の子弟を対象に儒学を中心に
教えていたものです。
また、庶民の子どもたちを対象に、僧侶や浪人らが
読み書き算盤を教えた「寺子屋」があり、江戸時代の末
には、この寺子屋は全国で1万5千箇所あったといわれて
います。
著名な学者が指導した私塾からは、多くの人材が
輩出されており、蘭学塾、兵学塾、医学塾など多様な
学問の私塾も見られます。
例えば、「儒学」塾では、中江藤樹の藤樹書院、石田梅岩
の心学講舎、広瀬淡窓の咸宜園、吉田松陰の松下村塾。
「西洋医学」塾は、シーボルトの鳴滝塾、「蘭学」塾は
緒方洪庵の適塾、杉田玄白の天真楼などがあります。
これらは塾として教育を行った期間は短いものの後の
世に大きな影響を残しました。
このように庶民を対象とする寺子屋が存在していた
こともあり、この時期の日本の庶民の識字率は
世界最高水準であったといわれています。
そしてその事実が、明治維新後の急激な近代化を
可能にした最大の原因であるともいわれています。
国や地域、家庭の基盤となる人財の育成をいかに
行なうか、生き物である人間、2千年以上の歴史を
持つ日本人としてのアイデンティティを見据えた上
でのものでなければ、漂流する日本の状態を
食い止めることはできないでしょう。
21世紀に入り急速に顕在化してきた社会課題に
対して、これに取り組む力を持った人財をいかに育てるのか。
「個性教育」と言いながら、「全国一律主義」から未だに
抜切れない学校現場が多くある中、この矛盾を解消する
には教育の持つ二面性を分けて、相互連携するような
取り組みが必要ではないでしょうか。
教科を学び理解するという「学習教育」と、個人一人
ひとりが持つ素質や特性を伸ばす「個性教育」。
このコンセプトを実践するオペレーションとして、
学校と塾という公と民とのパートナーシップにより、
子どもの主体性を伸ばして社会に活かす長期的教育
が行われ、自分のことと同時に社会のことを考える
人財が育っていけば社会にも有益となります。
その際に、人間というものの多様性を理解しつつ
人財づくりを考えた、細川重賢の賢慮は現代に
活かせることでしょう。
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