「ナショナル ジオグラフィック」2014年9月号
”未来へ残す原生の自然”
今から50年前、原生自然地域を保護する目的で
成立した米国の「原生自然保護法」。
”未来へ残す原生の自然”
今から50年前、原生自然地域を保護する目的で
成立した米国の「原生自然保護法」。
指定する権限は連邦議会だけに与えられ、
指定地域内では樹木の伐採や鉱山開発などの
営利事業はできなくなるというもの。
1964年の法制化とともに、全米に54カ所の
原生自然地域が誕生しています。
ジョンソン大統領は法案に署名した後、
こう述べました。
「後世の人々に軽蔑でなく、感謝とともに
記憶されたければ、人間が手をつけた後の
世界だけでなく、原初のままの世界を垣間
見る余地を残しておかねばならない」
米国では50年の間に、公式に指定された
原生自然地域の数は増え続け、現在では
750カ所を超しています。
その総面積は米国の国土のおよそ5%を占め、
カリフォルニア州の面積を上回るほど。
そして現在、約30カ所の候補地が議会での
承認を待っている状態といいます。
1870年代、ナチュラリストの先駆者として
自然保護活動に生涯をささげた
ジョン・ミューア。
彼はヨセミテ渓谷やシェラネバダの山々を
歩き続け、その実践の中から「自然と人間の共生」
を訴えました。
その活動は、その後の世界の自然保護運動の
基礎となり、国立公園理念へと発展します。
カリフォルニア州中央部、シエラネバダ山脈
の西山麓にひろがる原生地域。
ジャイアントセコイアの巨木、氷河が刻んだ
そそり立つ花崗岩の絶壁や巨大な滝で知られる
ヨセミテ渓谷。
1850年代のゴールド・ラッシュによって
流入した白人が、当時この地にいたアワニチ族
を敵対する部族が呼んだ呼称「ヨセミテ(殺し屋)」
を誤って、地名としたもの。
今日ではロッククライマーの聖地とよばれ
世界中から人が集まります。
私は過去に2回(1998年、1999年)、
ヨセミテを訪れてジャイアントセコイアの巨木たち
にふれ、巨大な滝を仰いで原生自然を満喫しました。
アメリカにおける国立公園の理想は「万人」に
開かれた公園として後世に残すというというもので、
「万人」の平等を掲げた独立宣言にも匹敵すると
みなされてきました。
ヨセミテ渓谷を新大陸における「カテドラル」と呼び、
神聖、犯されざるものとして、開発と闘った
ジョン・ミューアの功績は大きなものです。
時の大統領、セオドア・ルーズヴェルトと3日間、
ヨセミテでキャンプした話は有名で、その後
ルーズヴェルトは各地に国立公園を指定します。
一方で、公園の南端に、サンフランシスコ大地震
(1906)後の水資源として、ヘッチ・ヘッチー渓谷に
ダムが建設されるにあたり大論争が起きます。
ミューアやシエラクラブをはじめとする保護論者
(プリザベーショニスト)は、「手付かずの自然」を
残すことを謳ってこれに反対。
一方、「持続可能な有効利用」を優先する森林長官
のギフォード・ピンチョットら、環境保護と天然資源
の利用の調和を主張するコンサベーショニストと
呼ばれる人々は計画を支持します。
1913年、連邦議会はオショーネシー・ダムの建設を
認めるレイカー法を可決。
但し、保護論者の主張を受けて、連邦議会は
公園の約9割、27万4200ヘクタールを「ヨセミテ自然
保護区域」に指定。
米国における自然保護運動誕生の契機にもなりました。
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