「常識を発達させよ。見聞を広くしなければならぬ。
小さな考えでは世に立てぬ。」
大村益次郎
小さな考えでは世に立てぬ。」
大村益次郎
「花神」(かしん) 昭和53年 NHK
原作/司馬遼太郎
出演/ 村田蔵六…中村梅之助
吉田寅次朗…篠田三郎(写真右から4番目)
高杉晋作…中村雅俊(右から3番目)
山形狂介…西田敏行(右から2番目)
桂小五郎…米倉斉加年(左から3番目)
伊藤俊輔…尾藤イサオ(左から2番目)
敬称略
内面をにじませた深みのある演技で存在感を
示した俳優、演出家で画家としても知られた
米倉斉加年(よねくら・まさかね)さんが26日、
亡くなられました。
80歳。テレビ、映画で活躍され、NHK大河
ドラマでは「風と雲と虹と」「花神」「勝海舟」の
各作品で名演技を見せてくれました。
「花神」 は、司馬遼太郎の有名な長編歴史小説
で、日本近代兵制の創始者・大村益次郎(村田
蔵六)の生涯を描いたもの。
周防の百姓に生まれた村田蔵六(後に大村
益次郎と改名)が村医から一転して討幕軍の
総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげた
、わが国近代兵制創始者の波瀾の生涯。
”ひとびとの需要のためにのみ村田蔵六という男
は存在している。
江戸での翻訳のしごとも、長州藩での軍事の
しごとも、そうであった。
蔵六からそれをしたいと思ったことは一度もなく、
ひとびとが蔵六の技能を必要とするままに蔵六
は生きてきた。
大は長州藩から小は吉蔵のゴウマにいたるまで、
蔵六に寸暇もあたえずこきつかっている。
蔵六自身はといえば自分自身に奉ずるところが
きわめて薄いたちで、豆腐一丁と晩酌二本だけ
あれば人生事足りるという手軽な男なのである。”
(司馬遼太郎『花神』文芸春秋)
蔵六は郷里を発った後、大坂の「適塾」に緒方洪庵
を師として研鑽を積み、抜群の成績を上げ塾頭に
なります。
医師として故郷に戻った蔵六でしたが、人と交わる
のは不向きなため、田舎では変人扱いされます。
黒船来航・開国開港など時代が大きく動き始める
中、西国の諸大名が最先端の科学研究とその
実用化を求める時代。
蔵六は、シーボルトの弟子であった二宮敬作の進言
で、宇和島藩の軍艦建造に招かれます。
そして、それを機に洋学普及のため、江戸で私塾
「鳩居堂」を開き、幕府の研究教育機関(蕃書
調所のち開成所)で出講するようになります。
しかし、出世をしても自らを売り込むことに興味の
ない蔵六。
維新倒幕へ向け藩内の改革を目論んでいた長州
藩の桂小五郎は、江戸で出会った蔵六を藩士と
して招き、軍政改革の重要ポストに就けます。
その出自に対し、藩内での差別や抵抗を受けつつ
、また尊皇攘夷など狂奔な活動を起こし続ける
長州藩に侮蔑の念を隠さない多くの蘭学者・洋学
者(福沢諭吉)たちの白い目を承知しつつ、
蔵六は時代に花を咲かせる花神(花咲か爺さん
)としての役割を担います。
そして高杉晋作の没後は、奇兵隊を倒幕に向けて
再編成し、大政奉還後に発足した官軍における
事実上の総参謀を務め、戊辰戦争の勝利に貢献
して明治維新確立の功労者となりました。
維新政府の兵部大輔として軍制近代化の確立
を進めてゆく蔵六。
しかし、旧来の思考でしか判断のできない者
(海江田信義・大楽源太郎など)からの嫉妬や
批判が深まり、ついに京の宿泊先で遭難します。
死の床にあってもやがて来たる最後の大乱「西南
戦争」を予感して、新製の大砲を用意しろという
遺言を残し、最後まで技術者・実務家を通し、
生涯を終えた村田蔵六。
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