「ニューヨークの人々なしに、私はなかった。
ファンの皆さんはいつも私がベストを尽くすよう
押し上げてくれた。
私を愛し、尊敬し、そしていつも私と共にいて
くれた。
こうした状況は時に苦しく、攻撃的になったり、
過酷な環境にも成り得る。
また、この街の人々は大きな期待を抱き、
そして我々がそれに見合うかどうか、という不安も抱く。
しかし、私に試練を与え、励まし、叩きのめし、
そして立ち上がらせてくれたのは、全てファンの
皆さんだった」
ファンの皆さんはいつも私がベストを尽くすよう
押し上げてくれた。
私を愛し、尊敬し、そしていつも私と共にいて
くれた。
こうした状況は時に苦しく、攻撃的になったり、
過酷な環境にも成り得る。
また、この街の人々は大きな期待を抱き、
そして我々がそれに見合うかどうか、という不安も抱く。
しかし、私に試練を与え、励まし、叩きのめし、
そして立ち上がらせてくれたのは、全てファンの
皆さんだった」
今季限りで現役を引退するヤンキースの
デレク・ジーター内野手(40)が、ロイヤルズ戦の
試合前に引退セレモニーに臨みました。
試合前、総立ちの4万8110人が見守った
3分間のスピーチは、「Thank(感謝)」という単語
を12回使い、プライドと感謝が込められたものでした。
「私は、世界で一番素晴らしい仕事をしていた。
それは、ヤンキースのショートストップ(遊撃手)です」
ジーターを見つめるのは、元監督のジョー・トーリの
ほか、マリアノ・リベラや松井秀喜を始めとする
元戦友たち。
さらにマイケル・ジョーダンやカル・リプケン・ジュニア
という時代を築いたスターたちも集まりました。
その顔ぶれを見るだけで、彼がどれほど素晴らしい
足跡を米国スポーツ史に残したかが分かります。
心理カウンセラーの父と、税理士の母という賢明な
環境で育ったジーターは、両親から「常に奢ること
なかれ」と教育されてきたそうです。
その教育方針どおり、ジーターは若い時から人格者
として知られるようになりました。
1992年、高校を卒業したばかりのジーターがドラフト
1巡目全体6位でヤンキースに入団したとき、
当時のバック・ショーウォルター監督はあまりにも
落ち着いた佇まいを見て、「彼は特別な選手になる」
と確信したそうです。
マイケル・ジョーダンは94年、ジーターと共に
マイナー選手としてアリゾナ秋季リーグで初対面して
以来の友人。
当時、野球に挑戦していた11歳年上のジョーダンは、
20歳の有望株の能力に目を奪われたといい、
「私にとってのアイドル。素晴らしい先生だった」
と評しました。
2602試合出場、3316安打、348盗塁は、いずれも
ヤンキース歴代1位。
ただし、ジーターのすごさは記録だけではありません。
ジーターが最も誇りにするのは、ヤンキース一筋で
球団最長記録となる20年間プレーしたこと。
名門の中心選手として5度のワールドシリーズ制覇
に貢献。
「一つのチームでキャリアを終えられることに感謝
したい。素晴らしい人たちと共に過ごせた」と挨拶
して、大歓声を浴びました。
いつ何時も、変わらぬ野球に対する真摯な姿勢は、
ホームでは歓声に後押しされ、アウェイでは
ブーイングで迎えられました。
チームが負ければ、必ずロッカーに最後まで残り、
辛辣なメディアからの厳しい質問に対し、全責任
を負いました。
逆に勝てば、自分はいち早く球場を去り、活躍した
選手にスポットライトを浴びせるような配慮を
見せたジーター。
「ヤンキースにいるかぎり、どれだけチームのために
プレーできるかが問われている。勝っても、負けても、
それを受け止めるだけの覚悟はできている」
若い頃から慈善活動にも積極的だったジーター。
自ら立ち上げた組織で反薬物の啓発や、奨学金の
給付などに取り組み、2009年には好成績を挙げる
と同時に、社会福祉や地域奉仕に貢献した選手に
贈られるロベルト・クレメンテ賞にも輝きました。
ジーターを讃えるCM、「RE2PECT」は、7月14日の
YouTube公開から1日で180万回を超える再生回数
を得る人気となっています。
https://www.youtube.com/watch?v=X03_bNuihLU
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