『適応する力は進化につながる』

「最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残ることが出来るのは、
変化できる者である。」

2月12日は、ダーウィンの日(Darwin Day)





















「種の起源」を著した英国の自然科学者、
チャールズ・ダーウィンは1809年のこの日に
生まれました。

生物は不変のものではなく、長い時間をかけて
次第に変化してきた
と考えたダーウィン

イギリス軍艦ビーグル号
が、南米及び太平洋
の調査航海
に出る為、研究員として動物学者
を探していたことから乗船することになります。

この時、携えていったライエルの「地質学原理」
と共に、5年間の航海に出発します。

1831年からの航海中、ダーウィンはある地域から
他の地域へ移動するに従い、地域変化に応じて
動物相や植物相が変化していく
のを魅せられた
ように観察しました。

ガラパゴス群島にやって来た時、14種類もの
アトリ科の鳥、フィンチの変種
が夫々の変種毎
群島のあちこちの特定地域に繁殖している
のを見て、ショックを受けます。

少しずつ違う鳥の種の個々が、独立に創造、
発生したとは考え難く
、本土であるエクアドル
の原種フィンチから、この14の変種は展開
した
と考える方が妥当であると考えたからでした。

※専門家に聞いたところでは、事実では生存中に
ダーウィンフィンチの変異について、ダーウィンは
気がついていなかったそう。

きちんとダーウィンフィンチを研究したのは、1940
年代英国の鳥類学者ラックが行ったもので、
ダーウィンフィンチという名前は彼がつけたと
いいます。










この時参考になったのが、ライエルの「地質学
原理」
だったといいます。

地球上の険しい山々や海など多様な地理学
的自然
も、地質学的には何十億年という長い
タイムスパンにおいて、非常にゆっくりと変化

してきた結果であるという思想。

それならば、同様に生物の種の多様も長い
時間をかけて、少しずつ変化を続けてきた

のではないか、そうダーウィンは考えたのです。

またマルサスの「人口論」からもダーウィンは
影響を受けています。

世界の人口は、世界で生産される食料の量に
よって最大限が設定
され、それよりも人口が
増えると、飢えや疫病、食糧の奪い合いに
基づく戦争等が生じて人口は減り、それに
よって総人口は調節
されているという説。

ダーウィンは、食糧不足に何らかの形で適応
できた者が生き残るというこの説
は、人間
だけでなく総ての生物に対しても言える

ではないかと考えました。
























このようにして、進化論の基本概念である
「自然淘汰」「生存競争」「遺伝変異」を導き
出したダーウィン。

その要因によって、常に環境に適応する様
に進化し、勝ち残った結果として、多様な種
が発生する
事を述べたのでした。

ダーウィンは、全ての生物種が共通の祖先
から
長い時間をかけて、自然選択という
プロセスを
通して進化したという進化論を
発表します。
 
「自然淘汰」
特徴Aを持つものが、例えば1000分の1の
確率で生き残るとする。一方、特徴Bを持つもの
は1000分の2の確率で生き残るとする。

この場合、特徴Aを持つものがBを持つものより
も生き残りやすいので、世代が進むごとに特徴A
を持つものが数を増やすことになる。

「生存競争」
生物が生み出す子供のすべてが、大人に
なれるわけではなく、子孫を残せるわけでもなく
、その多くは死んでしまう。

畑を雑草の生い茂るがままにさせておくと、
作物が負ける。さらに雑草も他の種類に負けて
次々に交代することになる。
 
「遺伝変異」
生物は同じ親から産まれた子どもであっても
持っている性質や特徴が異なっている。

例えば変異Aや変異Bがある。具体的には
体の色の違い、体毛の長さ、体のほんの
ちょっとしたプロポーションの違いなど。
但し、そうした特徴は遺伝するものである。

自然選択によって、生物は常に環境に適応
するように変化し、種が分岐して多様な種が
生じる
という「種の起源」

これは、現在でも進化生物学の基盤の一つ
なっています。

その偉大なところは、豊富な事実的証拠に
よって証明できる進化の原因、理由の理論を
創造した
ことにあるといわれています。

ダーウィンの偉業を後世に残すべく、米国自然史
博物館、ケンブリッジ大学図書館など
が、デジタル
・アーカイブを作成するプロジェクト
を2003年に
発足。

今年2015年までにダーウィンが書き残した、
3万に及ぶ図面などをすべてデジタル化
する
予定だといいます。完成がとても楽しみです。 


 

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”