『民の国を目指した大楠公』

桜満開の季節。

先日家族で訪れた越後の名刹、雲洞庵
での縁から、楠木正成公の見事な生き様
が頭の中にあります。

北条氏の政事に倦み、既存の武家政権
を倒して、武家と言う身分をなくし、民が
安楽に暮らせる世の中を夢見ます

時の帝の嫡子である大塔宮文武に秀で
た若き俊才の北畠顕家
等と意気投合し、
民の国を目指すため倒幕に踏み切って
動きました。鎌倉幕府から正成は悪党と
呼ばれます。 

しかし、後醍醐帝を中心とする愚かな公家
や側近たち
は、正成と大塔宮等の目指す
ところを理解しようとせずに専横を
振るい
ます。

やがて倒幕まであと一歩のところで、足利尊氏
が現れ、北条氏はついに倒れ
ました

建武の新政での腐敗から、武士の世は
変わらず、帝は自らの置かれている立場を
理解せず大塔宮を死に至らしめ正成たち
の夢は露と消えて
いきます。













正成と尊氏は不思議に気が合った
といいます。

互いにその夢を理解しつつ時代の流れ
からやがて尊氏は武門の棟梁
として起ち、
後に足利幕府を開きます。

正成は、人間的に悩み苦しみながら帝の
側につくことを決断

建武3年(1335年)5月21日、正成は、
湊川の決戦に向かうにあたり桜井で、
長男楠木正行と今生の別れを告げます。

正行は父に従わんと願いましたが、
正成曰く「後に残り忠孝を励め」と短刀
一振りを与えて河内へ帰します。
 
時に正行11才。有名な桜井の別れ

そして正成は北畠顕家に続き、戦場で
命の華を咲かせ散ります

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