『善財童子が描いた世界』

休日、仕事の合間に気分転換の
サイクリング

川沿いの道に、頭を空白にしながら
青空と白雲と水の流れ、たまに行き
交う人を見つつ。
















しばらくペダルを漕いでいると、
須田剋太画伯の書「花無心」が頭の
中に。

画伯は青年期、東京美術学校(現
東京芸大)の受験に四回失敗
し、
挫折を味わいます。

その後、東大寺管長の上司海雲さん
の知遇を得て可愛がられます。

上司さんは、二百六世華厳宗管長
東大寺別当志賀直哉や杉本健吉ら
文化人・芸術家とも交流
をもち、書や
文章にも優れ、幅広い見識と政治力
兼備の名僧
として知られた方。

『絶対矛盾の自己同一・具象も抽象
も帰する所は一つ』
という、画伯の
天衣無縫な世界
に対し、海雲さんは
「善財童子」と高く評価しました。



















後に須田画伯は、司馬遼太郎さんの
紀行文集「街道をゆく」(週刊朝日連載)

にて1971年1月から1990年2月まで
を担当します。

「街道をゆく」は、全部で72街道、文庫
本で43巻
もあり、各地の歴史・地理・
人物など
を、司馬さんが独自の視点で
描いた歴史紀行文

具象、抽象にこだわることなく、独自の
力強く生命感あふれる作風
を築きあげた
「善財童子」は、取材旅行での同行など
を通して、その人柄を司馬さんからも深く
愛され
ました。



















須田画伯の芸術観の根底
には、東洋
思想、とりわけ道元禅師の「正法眼蔵
随聞記」への心酔
があったと聞きます。

書にも深く傾倒し、書道、挿絵、風景、
人物画
など、広く活動。日本人で
なければ表現し得ない独特の世界

創り出したと高く評価されています。

純真無垢な方で、まるで子供のような
気持ちを最後まで持ち続けた画伯は

1990年7月14日、84歳で逝去。 





















”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”