『過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる』

アウシュビッツ解放、ベルリン陥落、ナチスドイツの降伏
、広島と長崎への原爆投下、そして大日本帝国の降伏


戦後70年である今年、第二次世界大戦での敗戦から
立ち直り、今や世界経済の大国として、またEUでの
リーダーシップを発揮しているドイツ


















戦後ドイツは、ナチズムへの反省を精神的基盤として
発展
してきました。

冷戦が終わるまで、戦後処理に蓋をしておくことが
できた日本
と比べ、ドイツは「過去の克服」のために
最大の努力を払ってきた
ように見えます。

ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の道義的責任を認め、
犠牲者に償い、過ちを繰り返さないため啓蒙活動を
徹底
することを政府主導で実践し、国を挙げた取り
組み
が、敗戦から70年を迎えた今、大きく実を結んで
いるようです。

ドイツと日本の戦後、その違いはどこにあったの
でしょう?

ドイツ・ニュースダイジェストで「ニュースの顔」
連載している高橋容子さんは、以下のように
解説しています。

”最大の違いは、戦後も過去が継続してしまった日本に
対し、ドイツは過去との決別を図ろうとしたことでしょう。

米国にのみ占領された日本と違い、ドイツは米英仏ソ
4大国に分割され、ソ連占領地区にあるベルリンは
さらに4カ国に分割されました。

やがて1949年、米英仏占領下のドイツはドイツ連邦
共和国(西ドイツ)、ソ連占領下のドイツはドイツ民主
主義共和国(東ドイツ)として独立。

分割されたドイツはこのときから東西冷戦の前線に立ち、
外交で多方面の配慮が必要になったのです。”

高橋さんによれば「西ドイツ建国」にあたって、国民の心
に深く刻まれたエピソード
があるといいます。

除く全ての隣国を侵略したことに対する謝罪と補償
明確にしなければ、地続きの周辺国とともに歩む
未来
が望めなかったといいます。

ドイツが戦争によって被った軍事的、政治的、倫理的
混乱
は、日本とは比較にならないほど複雑だったこと
が分かります。

ドイツの社会学者クラウス・ナウマンはこう言いました。
 
「まさに敗戦の瞬間まで、ドイツには忠誠と意志と服従
と団結の精神混合体があった。

この混合体から人の形を抽出すると、式典の犠牲者側
と加害者側の間にたたずむ人物になる。
名を『伴走者』という。

当時の社会は、「沈黙は勝利」をモットーにした彼らの
社会だった。















それから50年。統一後に数々の外国人襲撃を経験した
現在のドイツは、今こそ『伴走者』の記憶を思い起こさ
なければならない」

日本とドイツの戦後は経済発展で平行し、政治外交面
では大きく道を分けて
います。

70年代までドイツでは社会全体が過去を直視
しているとは言えない状況だったと聞きます。
日経新聞5月27日掲載のベルリン支局
赤川省吾氏の記事
にはこうあります。
”75年の演説でシェール大統領が「ナチスからの
解放」を口にしたが、賛同は広がらなかった。
つまり70年代まではドイツ社会全体が過去を
直視しているとは言えない状況だったのである。
戦後生まれが増えた80年代になってようやく空気
が変わる。ワイツゼッカー大統領が1985年5月の
演説で「終戦は解放の日であった」と明確に位置
づけたことが転機になった。

これ以降、負の歴史を正確に検証し、次世代に
語り継ぐという作業が加速することになる。これが
旧東独に広まるのは90年のドイツ統一後のこと。
つまりドイツがいまの歴史観にたどり着いてから、
まだ20年あまりしかたっていないのである。
「歴史を忘れると、同じ道を再び歩んでしまうのでは
ないかという不安がドイツ社会に広がった」

負の歴史の検証が時代とともに社会に受け入れ
られていった理由について、戦後史研究の第一人
者であるシュレーダー・ベルリン自由大教授は語る。

確かに、いまは第2次大戦への反省が徹底している。
ナチス政権は世界史上で唯一無二の残虐な政府
だったというのがドイツ国内での受け止めだ。”


こうした教育啓蒙活動により、ドイツでは記憶の継承に
対する国民の意識が高いのでしょう。

”高級紙『ツァイト』の2010年の調査では、45歳以下の
世代の約7割が「国家社会主義に興味がある。
もっと知りたい」と回答している。

政府、教育、メディア、そして国民が「忘れない」と
いう思いで結ばれているからこそ、
ドイツは戦後ヨーロッパで絶大な信頼を獲得し、
欧州連合の牽引役として主導的な役割を果たす
までに至ったのだ。

ドイツの一部の若者たちからは「もうナチズムへの
反省はうんざり」という声も聞かれるが、
戦後の清算に真正面から取り組んできた国のあり方
が、 彼らの世代にどれほど貴重な実りをもたらしたか
は計り知れない。”

(田中聖香さん・ドイツ在住ジャーナリスト)

過去を直視しなかった日本はディズニーランドになるだろう

と、南ドイツ新聞がかつてこう書いたそうです。
「そこでの政治や戦争はまるでゲームのよう。少しも現実性
がない。」

この耳が痛い言葉は、同じ戦後70年を迎えた日本の姿
をあたら言い当てている
ことに、歴史を直視し反省から
国を造り上げていったドイツからの諫言
と思いました。


”明仁天皇は、「ありがたみ」を求める人には
影の薄い天皇に見えるかもしれないが、(中略)、

実際には強い意見の人man of strong opinion
であり、しかも自己の影響力と、さらに重要なこと
に、この特性と限界を自覚し、するどい質問の形
で自己の見解を表明すると明言し、

その指向するところ、社会の主流に対して、
その「副作用」を警告し、これを減殺することを
自己の使命と規定しておられると思う。

実際、発展developmentに生存survivalより
高い優先順位を置いてきた戦後の日本に対して、
機会あるごとに牽制球を投げ、また、戦争の後遺
症を癒す努力を自己に課しておられると私は思う。”

 
  













”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”