「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
江戸中・後期、肥前国平戸藩の第9代藩主で剣術の達人
でもあった松浦静山の剣術書『常静子剣談』にある言葉。
”負けるときには、何の理由もなく負けるわけではなく、
その試合中に必ず何か負ける要素がある。
一方、勝ったときでも、すべてが良いと思って慢心
すべきではない。勝った場合でも何か負けにつながったかも
しれない要素がある”
日露戦争終了後の有名な「連合艦隊解散の辞」。
その一説にこうあります。
”神明は唯平素の鍛錬に力め戦わずして
既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、
一勝に満足し治平に安んずる者より直に之を褫(うば)う。
古人曰く勝って兜の緒を締めよと。”
しかし、この秋山真之の訓言は十分に生かされず、
40年後に日本海軍は太平洋戦争に敗北します。
負けには、必ず負けた理由がある。だからその原因
を検証し、次に備えることが大切。
そう考えて、弱小と言われるチームを常勝軍団に育て
上げたプロ野球の野村克也氏は、この言葉を大切に
してきたといいます。
同氏の著書『負けに不思議の負けなし』(朝日文庫)では、
池田高校野球部監督であった蔦文也氏について
”高校野球の監督で蔦さんほどノックのうまい監督はいない”
といって褒めています。
”いつもながらこの人はいい言葉を残す。
あっさりしていて、そのくせ不屈の気持ちがどこかに
こもっている。
当たり前のことをいっているのだが、不思議に聞く人
の心をとらえる。選手が慕うのも当然だろう。”
「山あいの町の子供たちに一度でいいから
大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」
勝敗の要を深く理解し、そのことを子どもたちに身を
持って教えられたr故蔦文也監督の言葉、心に深く響きます。
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