『 汝が声誰も聞かずば、一人歩め一人歩め』

「汝が声、誰も聞かずば、一人歩め、一人歩め」

インド訪問中の英国ウィリアム王子とキャサリン妃夫妻
が、インド独立の父マハトマ・ガンジーにささげられた
記念館「Gandhi Smriti」を訪問したとのこと。
(写真元:AFPBB News)

インド独立の翌年1948年1月、ガンジーはニュー
デリーの滞在先で、ヒンズー教至上主義者に銃撃されて
亡くなります。

20世紀の知性を代表するアインシュタイン博士は、
「道徳的衰退が一般的な我々の時代にあって、
彼だけが政治領域におけるより高い人間関係の概念
を体現する唯一の政治家であった」
と深く哀悼。

私は、小学校卒業時「ガンジーを読んで」という題の
記念文を載せました。

インドに生まれ、丸メガネをかけた痩せた小さな身なりに
腰布で体を包んだ半裸のインド人のすばらしい生き方
にふれて、己が魂の感動した思いを書き綴ったのを覚えて
います。

その後、社会の中で様々な体験をする日々において、
ガンジーという「ブッダ以来最も影響を持ったアジア人」
(寺島実朗氏)
の生き様と魂をあらためて素晴らしい
と感じています。
(写真元:ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)) 
1869年、ガンジーはインドのグジャラート州に生まれ、
19歳の時に英国留学

地位とお金を求めて、弁護士資格取得を目指す
植民地からの留学生でしたが、次第に大英帝国の
繁栄の陰に悲惨な貧困者が存在するという矛盾

気づかされます。

やがて英国的生活への憧れは萎えていき、「インド
回帰」というインド人としての自覚
を持つように。
そして1900年南アフリカに渡り、青年弁護士として
現地で働くインド人を応援しながら、次第に「真理
への確信に基づく不服従の闘い」という思想の基軸

を醸成していきます。

当時の英国のインド統治は「分断による統治」
ヒンズーとイスラムという宗教対立、根強いカースト
制度、人権・言語の多様性、地方主義へのこだわり

など、社会に横たわる多様性を分裂して敵対的に
分断させることで結束させない
ようにしているもの
でした。

この分裂・分断に対して、インド国民の自尊を求め、
徒手空拳で大英帝国に立ち向ったガンジー

民衆を分断して差別するという支配構造に対して、
静かな抵抗思想を徐々に形成。実験農場を開設
し、新聞の発行
を行い、機械文明への過剰依存
を嫌い、額に汗して働くことを尊び
ました。

彼は、「サティヤーグラハ」(真理への確信に基づく
不服従の闘い)
という手段で、武器暴力は使わず、
愛と条理を貫き、徹底して相手の良心に訴えかける

という方法をとったのです。
そして1948年、ついにインドは独立

しかし大英帝国の植民地からの解放という目的は
達した
ものの、彼の夢であったヒンズーとイスラムの
和解と協調に基づく統一的独立
は実現しませんでした。

それぞれがインドとパキスタンとして分離独立し、現在
に至ったまま。
ガンジーを銃弾で倒した民族や宗教の壁は、21世紀
に入った現在も容易に崩れることなく、世界各地でテロ
の悲劇
を見ます。

偉大なる魂を持ったガンジーの思想と行動は、
キング牧師やマンデラ氏など世界各地でいわれなき
差別や圧制に苦しみながらも、社会の不条理に立ち
向かう多くの人々
に勇気とインスピレーションを与えて
います。

それはまさしく地球の生物の進化において、まだ
幼年期にある人類への「良心」を種蒔いたもの。
地球市民の高い意識を持った人々は、芽吹かせる
努力を継続しています。

「汝が声、誰も聞かずば、一人歩め、一人歩め」

ガンジーの励ましに、これからも多くの魂が目覚めてゆく
ことでしょう。

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”