「あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命
考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないん
だって!それであすなろうと言うのよ」
(あすなろ物語)
考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないん
だって!それであすなろうと言うのよ」
(あすなろ物語)
中学2年の息子から、「『しろばんば』のあらすじを
教えて」と頼まれました。国語の課題文章に出て
いるそうです。
井上靖さんの書いた名作の一つ、『しろばんば』。
随分と昔、自分が中学生の頃に読んで以来で、
その記憶は年輪の外側へかすかに薄い状態。
すぐに聞きたがっている息子を前に、想い出すのは
諦めて、ネットで探し読み聞かせることに。
そして、『しろばんば』を読んだ同時代、それよりも
惹かれた『あすなろ物語』の記憶に思いが飛びました。
”天城山麓の小さな村で、血のつながりのない祖母
と二人、土蔵で暮らした少年・鮎太。
北国の高校で青春時代を過ごした彼が、長い大学
生活を経て新聞記者となり、やがて終戦を迎える
までの道程を、六人の女性との交流を軸に描く。
明日は檜になろうと願いながら、永遠になりえない
「あすなろ」の木の説話に託し、何者かになろうと
夢を見、もがく人間の運命を活写した作者の自伝
的小説。”
主人公の半生を、6つの章に分け、時代順にたどる
構成でつくられた一つの小説。
少年が大人へと成長していく過程の中で、様々な
人びととふれ合い、どうにもままならない生と死に
向き合う。
生という彩り豊かな色と、その裏にある死の影とが
混じり合いながら、鮎太の人生に濃淡を表していく。
そして全体の後半、「狐火」「星の植民地」では、
少年期において「檜になろうとしてもなることができ
ない翌檜(あすなろ)」というやや後ろ向きな意味
合いから、それを肯定するような表現に変わります。
”あらゆる人間の営みは絶望的であったが、そうした
中に於てもなお人間は生きなければならない、
生きることだけが貴い、そんな感情の昂ぶりだった”
「春の狐火」
”明日は何ものかになろうというあすなろたちが、
日本の都市という都市から全く姿を消してしまった
のは、B29の爆撃が漸く熾烈を極め出した終戦の
年の冬頃からである。
日本人の誰もがもう明日と言う日を信じなくなって
いた。”
「星の植民地」
太平洋戦争の敗戦において、それまで与えられてきた
明日を信じ生きてきたのが、焦土と化し、何もが失わ
れてしまった目前の光景。
その現実を前にしながら、自分の生を諦めるでなく
生き切る。祖父母や父母の世代の方たちは、誰もが
必死に生き抜いてきました。その先にある現在の日本。
檜になれないと人生をあきらめるのではなく、
「己なりの翌檜」を目指すことの大切さ。
それこそが己の人生なのだと、ご自分の体験を通し
井上さんは語りかけています。
未来は自分の手で創るもの。そう教えてくれる青春
の貴重な一冊です。
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