8月11日は「山の日」。「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という趣旨で、今年から祝日に加えられました。
先日実家に帰省した際、書棚の奥にしまっていた古いアルバムを発見。その頃の登山を写した写真を久しぶりに見て、懐かしさに感慨深くなりました。
かつて20代から30代の頃、私は日本各地の山々を歩きました。当時の会社の登山仲間たちと登り、時には一人で行くことも。北アルプス、南アルプス、八ヶ岳、関東の山々、時には出羽三山など東北の山、屋久島の洋上アルプスなどを歩き、土地の自然にふれ、絶景と温泉を楽しんだことを思い出します。その後、屋久島のある山にて危うく遭難しかけ、自然環境保全の道に転進するきっかけとなりました。
98年発行「人はなぜ山に登るのか」(別冊太陽)の巻頭で渡辺善次郎氏 (都市農村関係史研究所主宰)は、日本人と山の関係を次のように語っています。
英国で初めての山岳クラブである「アルパイン・クラブ」が設立された1857年当時、日本ではそれより古くから様々な形態の登山が行なわれていました。大規模な信仰登山から、研究、娯楽としての登山まで、さまざまな形態の登山が、広く全国にあったことがわかります。当時の世界でこれほど多様性に富んだ登山が行われていた国は、他にはありません。
「日本の神話では、天孫が高天原から日向の高千穂に降臨したように、神は各地の山に天降ってくる。山は天上の神々が地上に降りてくるための道であり、また鎮座する場所である。
神の鎮座する山を「神奈備」というが、それは別に高い山ばかりではない。神々は人里近くの山に降臨し、鎮座する。このような神の宿る山は神山とか神岳とも呼ばれて各地に散在している。」(渡辺氏)
オタケ、ミタケ、オンタケなどと呼ばれる山が各地に見られます。里の人々が、崇敬と親愛をこめて呼ぶ敬称。
「日本の神話では、天孫が高天原から日向の高千穂に降臨したように、神は各地の山に天降ってくる。山は天上の神々が地上に降りてくるための道であり、また鎮座する場所である。
神の鎮座する山を「神奈備」というが、それは別に高い山ばかりではない。神々は人里近くの山に降臨し、鎮座する。このような神の宿る山は神山とか神岳とも呼ばれて各地に散在している。」(渡辺氏)
オタケ、ミタケ、オンタケなどと呼ばれる山が各地に見られます。里の人々が、崇敬と親愛をこめて呼ぶ敬称。
周辺で一番美しい山、水源など生活にもっとも関係深い山を、人々は信仰の対象にしたと渡辺氏は言います。まさしく山は神々の住まい、霊魂の行き着く先。そして様々な幸をもたらす生命の源泉である。
死者の霊は近くの山に入り、昇華して山の神になる。山の神は田の神となり、里の人々に豊作の恵みを与えてきたのです。陸上ばかりでなく、漁民や船乗りたちにとっても、波間に望む山々は絶好の目印であり、守護神。彼らはそうした山々を頼りに、海へ乗り出していき
ました。彼らは山が見える限りは、その山の神が見守ってくれていることを信じ、安全や豊漁を祈ってさかんに登拝を行なったのです。
”たち山に降りおける雪を常夏に見れどもあかず神からならし”
万葉集の編者、大伴家持が越中守として北陸へ来た翌年に詠んだ「立山の賦」。この長唄からも、自然崇拝に根差した日本人の宗教観が、長いあいだ山を神の境域、霊魂の鎮まるところとして受けとめてきたことがわかります。
死者の霊は近くの山に入り、昇華して山の神になる。山の神は田の神となり、里の人々に豊作の恵みを与えてきたのです。陸上ばかりでなく、漁民や船乗りたちにとっても、波間に望む山々は絶好の目印であり、守護神。彼らはそうした山々を頼りに、海へ乗り出していき
ました。彼らは山が見える限りは、その山の神が見守ってくれていることを信じ、安全や豊漁を祈ってさかんに登拝を行なったのです。
”たち山に降りおける雪を常夏に見れどもあかず神からならし”
万葉集の編者、大伴家持が越中守として北陸へ来た翌年に詠んだ「立山の賦」。この長唄からも、自然崇拝に根差した日本人の宗教観が、長いあいだ山を神の境域、霊魂の鎮まるところとして受けとめてきたことがわかります。
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