『遊びをせんとや生れけむ』

今日2月3日は節分の日

「節分」は本来、季節の移り変わる時の意味で、
立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していたという。

特に立春が1年の初めと考えられることから次第に、
「節分」といえば春の節分を指すものとなったそう。

立春を新年と考えれば、節分は大晦日にあたり、
前年の邪気を祓うという意味を
こめて追儺の行事が行われ、「豆まき」
その一つなのだとか。

追儺とは悪鬼・疫病を追い払う行事のことで、
平安時代、陰陽師たちにより宮中において
大晦日盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも
行われるようになった。



平安時代といえば、今年の大河ドラマは「平清盛」。
「平家物語」の有名な一節は、
人の世の理として栄枯盛衰を語る。

『祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
 おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
 たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。』


さて節分の日、子供は喜々として豆をまく。
これは昔も今も変わらないこと。

平安時代に書かれた「梁塵秘抄」の巻第二・四句神歌
にある有名な歌。

『遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ』


人間が生まれてくるのは、遊びや戯れをするため
だけではないことはわかる。

たしかに人間の一生は、様々なことが起き、
時に重く長く感じられる道のりを
歩まなくてはならないものかもしれない。

だからこそ、遊び戯れる子供の声の可憐さに、
その愛おしさに、自分の身体も一緒に動いてしまう。

子供が歌っている声を聴けば、一緒に歌いたい気持ち
が湧く


子供達が純真に遊び、健やかに育って欲しい
と願う親の気持ちは世界共通。
いつの時代も変わらないもの


福島の原発事故により、多くの親たちが我が子の健康
を思い案じて日々心が痛む。

そして、被災地に生きる人々の暮らしが一刻も早く
成り立つような復興が必要である。

危険性あることが明確になった現在、
原発に頼らない再生可能なエネルギーによる
持続的な社会を、私たち大人は共創していく責任がある




”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”