”現在日本社会は、刹那的な個人の欲望に溢れた
民主主義の熟れの果ての状態である。”
田中直毅氏が以前、司馬遼太郎氏を
偲ぶ対談で語っていた言葉。
残念ながら肯定せざるを得ないものがあります。
民主主義の熟れの果ての状態である。”
田中直毅氏が以前、司馬遼太郎氏を
偲ぶ対談で語っていた言葉。
残念ながら肯定せざるを得ないものがあります。
翻って過去をのぞいてみると、かつて激動の
明治期に同様の懸念を持ち、この国の
ゆく末を案じた巨人がいました。
明治維新の大功労者、西郷南洲隆盛。
西郷さんは激動の時代、新しい国づくりを
目指す上で大事なことを語っています。
『今日我が国は、新しい国造りに励まねばなりません。
ダラダラと徳川時代と同じような呑気な気分で、
これまでと変わらぬまま過ごしていっては、
やがて衰退し、将来に潰れてしまうのは、
ちょっと先見の明のある人物ならば、一目瞭然のこと
である。
大事なことは「わが国の本体」を据えることである。
すなわち、わが国の本当の姿とは何か。
我々は、どんな自分が、本当に納得できる姿なのか。
将来にわたって「これこそ、我々日本人の誇りなのだ」
と偽りなく宣言できるものは何なのか。
と、そんな、”自分で自分を納得させられる本心”を
明確にさせることである。
まさしく現代にもよく通じる言葉。
「自分とは本来どうあるべきか」という
人間一人ひとり本来が生まれてきたことの意味
や役割を考え、万物の霊長にふさわしきふるまいを
すべきこと、そして行動していくことが
求められています。
南洲翁が座右の銘としていた言葉、
「敬天愛人」。
『天は人も我も同一に愛し給うゆえ、
我を愛する心を以て人を愛する也』という意。
深く心に刻みたい言葉です。
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