『荒るるかと見れば 凪ぎ行く海原の波こそ 人の世に似たりけれ』(明治天皇御製)
荒れた後には凪ぎが来る。その時港の船は出ていく。
三寒四温というように、三日寒ければ四日暖かい日がつづく。
孟子の言う「順受」であり、雨も好し、風も好し、病気も好し、
三寒四温というように、三日寒ければ四日暖かい日がつづく。
孟子の言う「順受」であり、雨も好し、風も好し、病気も好し、
病気では自分の体を練る、悪口も好し、悪口では自分を反省する。
順受していれば苦あれば楽あり、禍福は糾える縄の如しで境涯が転換していく。
2012年、私はそれまで勤めていた企業を離れて独立。
事業の種蒔きを行い、芽の成長を見ることができるまでは時間がかかる、
と先輩諸氏が言っていたのが身に沁みます。
そのことを実感する日々、正直この時間はなかなか厳しいもの。毎月決まった時期にお給料を頂いていたのがなくなること。収入という
糧の確保に向けた心のあせり。家族への申し訳なさも非常に大きくあります。
自らの志を問い直し、理想と社会の現実とに苦心する中、
明治天皇のお言葉がとても有り難く思えます。
もう一つ心に思い浮かぶ言葉。「書経」にある『自ら靖んじ自ら献ず』。
この言葉について、幕末から明治期に活躍した一人、山田方谷の逸話が有名です。
備中松山藩で板倉勝静が藩主になった際に、抜擢されて藩の要職に就き
藩政改革を断行して、巨額の負債を償却した他、更に余財を生み
備中松山藩で板倉勝静が藩主になった際に、抜擢されて藩の要職に就き
藩政改革を断行して、巨額の負債を償却した他、更に余財を生み
財政危機を脱しさせた凄い人物。
方谷が説いた「理財論」にはこうあります。
「総じて善く天下の事を制する者は、事の外に立ってことの内に屈しないものだ」
まさしく義を明らかにして利を計らずの考え方。
ある時、方谷のもとに藩の重臣が自分の出処進退について相談に来ました。
方谷はアドバイスします。
『人が知りうるのは外見だけで、心がどうかということはわかりません。
だから自分でどうすることが義かと問うことが必要です。
あてにならない客気が消えているか。
人に勝とう勝とうする気持ちが消えているか。人の気持ちが残っていないか。保身は考えていないか。
黙って自分の心を調べて見なさい』
物事をはやる気持ちがないか。余裕をもって相手に譲れるか。
自分の行ったことに責任をもてるように実践をしているか。
もう一度この言葉を考えてみることが大切。
壁に当たっている我が身にとって大変参考になる言葉。
方谷は生涯の中で学んだ陽明学の神髄を、
『致良知によらなければ誠意の本体はわからず、
格物(正しく行動する)という実践によらなければ、
誠意の実践はできない。
この二つが並び進んで初めて誠意が実際となる』と理解しました。
「致良知」、良知を致すとも読み、致すとは発揮するという意味。
「良知」は、四書五経の1つ「孟子」に出典があり、
「人間が生まれながらに固有しているところの、是非善悪を
判別する心を指す」
有り難いことに、最近我が身に少しずつ陽が差そうと
するのをここに来て感じています。
しかし、自らの志に基づいて為そうとすることに対し、
「検心の工夫」がどこまで至っているか、まだまだ足りないと感じています。
心静かにする中で、善き先人たちの教えに学び、
検心の工夫を行いたいと思います。
「人は夢を持つことが肝腎なり。
されども夢を実現せんとすれば、先ず自ら努力する
ことを忘るべからず。唯、必ず夢は叶うと信じるのみ」
するのをここに来て感じています。
しかし、自らの志に基づいて為そうとすることに対し、
「検心の工夫」がどこまで至っているか、まだまだ足りないと感じています。
心静かにする中で、善き先人たちの教えに学び、
検心の工夫を行いたいと思います。
「人は夢を持つことが肝腎なり。
されども夢を実現せんとすれば、先ず自ら努力する
ことを忘るべからず。唯、必ず夢は叶うと信じるのみ」
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