『いつも忘れていないということを届ける』

昨日まで岩手の被災地に入り、陸前高田、気仙沼、大船渡
で復興の現場を見させてもらった。

夜は、復興の志を持つ若手の方たちとの懇親
地元の方たちの復興にかける静かだけれど熱い思いもわかった。




かつて街の中心地であった場所は大きな建物の残骸を残して、至る所で何もなく
瓦礫の山が点在している光景。大津波が、山のように盛り上がり、猛獣のように
唸り声をあげて、一挙に美しい町や集落を次々と飲み込み、風景を無残にかき消した
あの出来事。

まだ生活の匂いが残っていそうなアパートを見て、そこで幸せに暮らしていたで
あろう方々のことを一瞬頭の中で想像しそうになり、急いでかき消した。
正直その想像に気持ちが耐えられなかった

現場を見る中で、少しずつ建物が新しく建ちはじめている所もあった。
が、復興への道のりはまだ時間がかかるのかもしれないと思った。

しかし、地元の未来を切に思う人々に出会ったことで、先はきっと
開けてくるだろうと思えた

瓦礫の中で途方にくれながらも、自分でちゃんと立ち上がろう、
しっかりと生きていこうとしている人々
に出会えたことは、
逆にこちらが元気を頂いたほどであった。

被災地から離れた場所に住む私たち一人一人は、何をすればよいのだろうか。

『物やお金を送ってもらうことは去年十分にしてもらった。
そのことには本当に感謝している。
でも今は、こうして皆さんが来てくれることが一番うれしいんだ。
忘れられることが一番つらいんだ。』

気仙沼の青年会議所の方の言葉が、心に響いた。



昨年3月31日付のある新聞に載せられていた記事。

宮古市の津波で、両親と妹を失った愛海ちゃん(当時4歳)は、
避難先の親戚の家の炬燵で、長い時間かかって一人でまだ
帰らないママへの手紙を書いた。

そして疲れてしまったのか、鉛筆を握ったままうたた寝をした。

『ままへ。
 いきているといいね
 お元気ですか』


帰路、中尊寺をお参りさせていただいた。
参拝して諸仏に手を合わせながら、「無常」を考えた。

この世は常ならず、同じ状態では決して続かない
かつてこの国の父祖たちは、どん底に陥った際暗闇の空に希望の
星を見出す力を持ってきた。

私たちは被災地の復興を常に心のどこかで気にかけ、
そこに住む人々のことを忘れず、時折その地を訪れることができる


桜の花を観に出かけそこで出会った人に声をかけるのもよい。
いつも忘れていないということを彼らにきちんと届けること。
離れていても気持ちがつながっている
思えることもまた、復興には大事なことなのだろうと思った。


”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”