桜の花咲くこの季節、一人の樹医を想い出します。
『どこが痛いんだ、辛抱しろよ。今、治してやるからな…』
木に語りかけ、木の声を聞き、病に苦しむ木を治療し
再生に人生を捧げたのは山野忠彦さん。
日本で最初に「樹医」を名乗られた木のお医者さん。
98年に亡くなるまで、全国各地の古木治療の行脚に
まわりました。
『どこが痛いんだ、辛抱しろよ。今、治してやるからな…』
木に語りかけ、木の声を聞き、病に苦しむ木を治療し
再生に人生を捧げたのは山野忠彦さん。
日本で最初に「樹医」を名乗られた木のお医者さん。
98年に亡くなるまで、全国各地の古木治療の行脚に
まわりました。
長野県黒姫アファンの森。
かつてこの森で、私はC.W.ニコル氏と森番の松木さん
のお二人から、信濃町にある「閑貞桜」の再生の話
を聞きました。
高さも幹回りも6m、樹齢400年といわれるこの老桜は、
雪の降る黒姫山を背にして、毎年春になると幹を覆う
ようにドーム状に花をつけます。
しかし92年、樹勢が衰え、根が朽ちかけたのを心配した、
ニコルさんは山野さんに治療を依頼。
『手遅れだといって何もしないのは間違い。
懸命に生きているうちは、助けたい。そう思ったんだ』
山野さんは弟子と二人で、土壌改良、害虫駆除と
手を尽くします。少しずつ樹勢を取り戻しましたが、
延命が精いっぱい。
数年かけても、以前のように花をつけなかったのです。
『長年、地元で愛されてきた木。何とか後世に残したい』
そう考えて山野さんは2年がかりで種を芽生えさせ、
苗を接ぎ木。やがてその2世が見事な花を咲かせる
ようになりました。
『山野さんや山本さんは木の心を理解できる人。
こうして木を生き返らせることが、木を崇めてきた日本人
本来の心を取り戻すことにもつながるんだと、
確かめさせてくれたんだ』
遠くに並び立つアファンの森の樹木たちを愛しそうに
見ながら、ニコルさんはそう語りました。
日本で初めて「樹医」の道を切り開いた山野さん。
全国の古木や名木を数多く甦らせました。
しかし、山野さんと木の交流の陰には、まるで
小説のような波乱に満ちた前半生が隠されていた
のです。
・指折りの資産家の息子だった若い頃。
全てを失い、裸一貫の日々。
山野さん30歳の時でした。
そんな時、亡き養父の声が聞こえたといいます。
『これからは、自分が本当に好きなことを見つけろ。
人を助け、それが自分の喜びにもつながるような。
そして、生涯やり抜くことのできる人間になれよ』
目的を持てなかった人生にようやく小さな灯かり
が灯ったといいます。
山野さんが最初に始めたのは、集中豪雨が多い
土地に植林すること。
一度は失敗しますが、数年後には1000本の桜が
山々を美しく染めるようになりました。
この桜を契機に、本格的な「山作り」が始まります。
自分の手で山を息づかせる。
その山は川を養い、人間も動物も命を豊かに育む。
こうして、山野さんは深く木の魅力にとりつかれて
いきました。
こうして木を生き返らせることが、木を崇めてきた日本人
本来の心を取り戻すことにもつながるんだと、
確かめさせてくれたんだ』
遠くに並び立つアファンの森の樹木たちを愛しそうに
見ながら、ニコルさんはそう語りました。
日本で初めて「樹医」の道を切り開いた山野さん。
全国の古木や名木を数多く甦らせました。
しかし、山野さんと木の交流の陰には、まるで
小説のような波乱に満ちた前半生が隠されていた
のです。
・指折りの資産家の息子だった若い頃。
全てを失い、裸一貫の日々。
山野さん30歳の時でした。
そんな時、亡き養父の声が聞こえたといいます。
『これからは、自分が本当に好きなことを見つけろ。
人を助け、それが自分の喜びにもつながるような。
そして、生涯やり抜くことのできる人間になれよ』
目的を持てなかった人生にようやく小さな灯かり
が灯ったといいます。
山野さんが最初に始めたのは、集中豪雨が多い
土地に植林すること。
一度は失敗しますが、数年後には1000本の桜が
山々を美しく染めるようになりました。
この桜を契機に、本格的な「山作り」が始まります。
自分の手で山を息づかせる。
その山は川を養い、人間も動物も命を豊かに育む。
こうして、山野さんは深く木の魅力にとりつかれて
いきました。
敗戦後、調査の仕事で各地の山々を見て回った
山野さんは、荒れ果てた姿に心を痛めます。
『ああ、この木はもっと手を入れてやれば、
スクスク伸びるのに。可愛そうだな。早く手を入れて
やらねば』
調査を終えた山野さんは、家族に「木の医者」に
なるという決意を打ち明けます。
48歳。樹医として治療にあたるにはまだ長い年月
の孤軍奮闘の日々が待っており、昼は仕事、夜は
研究という生活が始まりました。
69年、各地で公害が木々を苦しめたこの年に
山野さんは、「樹医」として全国行脚へと
出発。
木の治療を決意してから実に20年の歳月が
経っていました。
依頼が来た樹木のほとんどは、樹齢100年から
1000年以上の古木。学者でさえサジを投げる
ような、さしせまった状態からの蘇生。
重病だと2ヶ月もかかる治療もあったといいます。
いつしか、山野さんは木に手を当てるだけで、
たいがいの診断がつくようになっていました。
山野さんが20年間、治療してきた木はいずれも
奇跡的に蘇ります。
88年、ついに山野さんが手当てした木は
1000本に到達。樹医として捧げた誓い
が、この時果たされました。
山野さんは、荒れ果てた姿に心を痛めます。
『ああ、この木はもっと手を入れてやれば、
スクスク伸びるのに。可愛そうだな。早く手を入れて
やらねば』
調査を終えた山野さんは、家族に「木の医者」に
なるという決意を打ち明けます。
48歳。樹医として治療にあたるにはまだ長い年月
の孤軍奮闘の日々が待っており、昼は仕事、夜は
研究という生活が始まりました。
69年、各地で公害が木々を苦しめたこの年に
山野さんは、「樹医」として全国行脚へと
出発。
木の治療を決意してから実に20年の歳月が
経っていました。
依頼が来た樹木のほとんどは、樹齢100年から
1000年以上の古木。学者でさえサジを投げる
ような、さしせまった状態からの蘇生。
重病だと2ヶ月もかかる治療もあったといいます。
いつしか、山野さんは木に手を当てるだけで、
たいがいの診断がつくようになっていました。
山野さんが20年間、治療してきた木はいずれも
奇跡的に蘇ります。
88年、ついに山野さんが手当てした木は
1000本に到達。樹医として捧げた誓い
が、この時果たされました。
戦後、荒廃した森を見て『木が助けを求めてる。
人間の医者みたいに木の医者が要る』と
いって 誰も手をつけない木の治療を進んで行い、
木に向かうと必ず数珠を巻いた手で幹を撫でて、
『治療するで。我慢してや』とやさしく声を
かけたといいます。
『木にも病気やけがをなおす医者がいてもいいでしょう。
木も人間と同じ生きもの。いや、百年千年と生きる樹木は、
人間よりもはるかに生命力が上まわるのです。
そんな樹木たちに、耳をかたむけてやる人間がいなくては
ならないのです』
挫折からの再出発。
誰も考えなかった樹医として第二の人生を歩み、
『木がいつも守ってくれた』と、98歳
の長寿を全うするまで後半生全てを、
木の再生に捧げたすばらしい人生でした。
『人に人格があるように木にも格がある』
森を歩き、様々な樹々に会うたびに、私は山野さんの
この言葉を思い出す。
人間の医者みたいに木の医者が要る』と
いって 誰も手をつけない木の治療を進んで行い、
木に向かうと必ず数珠を巻いた手で幹を撫でて、
『治療するで。我慢してや』とやさしく声を
かけたといいます。
『木にも病気やけがをなおす医者がいてもいいでしょう。
木も人間と同じ生きもの。いや、百年千年と生きる樹木は、
人間よりもはるかに生命力が上まわるのです。
そんな樹木たちに、耳をかたむけてやる人間がいなくては
ならないのです』
挫折からの再出発。
誰も考えなかった樹医として第二の人生を歩み、
『木がいつも守ってくれた』と、98歳
の長寿を全うするまで後半生全てを、
木の再生に捧げたすばらしい人生でした。
『人に人格があるように木にも格がある』
森を歩き、様々な樹々に会うたびに、私は山野さんの
この言葉を思い出す。
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