日本には、古来から”木の文化”
があります。
先人の方たちは、様々な種類の木を性質毎に
活かして、身の回りで使ってきました。
とりわけ寺社仏閣における木造建築の技術は
大変すばらしいもの。
古の伝統を受け継ぐすばらしい宮大工たち
が、現在少数ながらも日本各地で活躍されて
います。
西岡常一さんは、「最後の棟梁」
と呼ばれ、昭和初期法隆寺の大修理に携わり
、飛鳥建築の神髄を学び、その工法を守りつつ
薬師寺西塔の再建を果たしました。
があります。
先人の方たちは、様々な種類の木を性質毎に
活かして、身の回りで使ってきました。
とりわけ寺社仏閣における木造建築の技術は
大変すばらしいもの。
古の伝統を受け継ぐすばらしい宮大工たち
が、現在少数ながらも日本各地で活躍されて
います。
西岡常一さんは、「最後の棟梁」
と呼ばれ、昭和初期法隆寺の大修理に携わり
、飛鳥建築の神髄を学び、その工法を守りつつ
薬師寺西塔の再建を果たしました。
西岡さんの言葉は、人類という生物種が
なぜ人類になったのかを、現代に生きる
私たちに深く考えさせてくれます。
『樹齢2千年くらいの木が実際に山に
生えているのを見ますと、自然に
頭が下がります。
雲の中から木が降りてきているという
感じです。思わず礼拝してしまいます。
樹齢2千年の木の命を絶つということは、
人間の我欲です。
けれどもこれは、世界平和を招来する
ための伽藍を作るために切っているのです。
そして伽藍としてまた2千年生きてもらう、
いわば命の移し変えです。
薬師寺の東塔は部材一つひとつ見ると、
どれも寸法が違うんです。
木の太さも太いのがあり細いのがあります。
それでいてちゃんと組み上がって1300年
保っているのです。これは神業です。
自分以外の世界を単なる物質的なものと
考えないで、同じ命として考える。
それをいただくことが人間の営みなら、
この命を殺すというよりも、別の命として
生かすという思いで木を切る。
この智慧が示唆してくる人類という
生きものの自覚と責任が、現代に生きる
私たちにより求められているの
ですね。
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