『今日私たちが日本で生きているのは、
世界中から食糧をかき集めて生きている
わけです。
そうすると、世界の人たちは、その食糧を
どういう状況の中でつくっているのか、
その食糧を私たち日本人が買えるという
のは、どういうことなのでしょう。
そして一方で、日本は工業製品を作って
輸出しているという現実があります。
その現実を知らないで、いま生きている
というのは、いったいどういうことなの
でしょうか。』
世界中から食糧をかき集めて生きている
わけです。
そうすると、世界の人たちは、その食糧を
どういう状況の中でつくっているのか、
その食糧を私たち日本人が買えるという
のは、どういうことなのでしょう。
そして一方で、日本は工業製品を作って
輸出しているという現実があります。
その現実を知らないで、いま生きている
というのは、いったいどういうことなの
でしょうか。』
産業革命以来、日本を含む先進国は地下資源が
有限であるにも関わらず、爆発的に
エネルギー消費を増大させてきました。
そして、私たちの生活は否応なしに化学物質
に囲まれ、何かが便利になると、その一方で
忙しくなるというおかしな矛盾を繰り返し、地球上の
他の生命を傷つけながら成り立って
いる。
物の豊かさと心の豊かさが反比例している現代文明
において、人間が生きるということの意味を
わかりやすく伝えてくれる槌田劭さんの言葉
に深く共感します。
『「生きる」という以上は、自分は誰によって、
どのような状況に支えられて、生きることを
許されているのか。
ところがいまの学校教育では、そんなことは
全然教えもしないし、試験にも出ないし、
覚える対象ですらない。
まあこういうことは学校で「覚える」ものでは
ないのかもしれないけれども、対象ですらない
というのは、実に生きている世界から
遠いところで右往左往させられているわけです。
本当は生きるというのは、もっと多面的な
奥深い世界です。
いろいろな人がいてくれて、自分も生きている。
食べ物を作ってくれる人もいるし、服を作ってくれる
人もいるし、いろいろな世界でいろいろな生き方を
している人たちがいるから、実は自分は生きられる。
人間だけでなく、他の動物たち、植物たちが
生きていてくれるから、私たちは生きられるわけです。
人間だけが孤立して生きているわけでは
決してないのです。
ところが、いまいったいどういう世界になっている
のかを、私たちは考えてみたことがあるでしょうか。
中学や高校の教育で、「生物」は習うけれども、
「生きている」というのはどういうことかを
習うことがあるでしょうか。
DNAというのも習うけれども、そのことがいったい
どういう意味を持つのかという勉強の仕方を
全然していない。』
『私は、ああいうことを勉強するのだったら、
あらゆる地上の生物が遺伝子として共通の形を
持っているということ、つまり、
同じ四つの塩基の配列によって生命の情報が
書き込まれている螺旋状のDNAという
高分子が持っている、
遺伝情報を支配する「文法」は、大腸菌も人間
も基本的には一緒だということを、まず知って、
そしてなぜ一緒なのかということを考えること
のほうが、はるかに生物の勉強としては
価値があると思うのです。
そうすると人間は万物の霊長なんて威張って
いたらとんでもないまちがいで、大腸菌も
人間も基本的に兄弟だということがわかります。
違った世界を見ることで、初めて自分を
相対化できるのです。
もっと違った価値で生きているということを
大事にしなけければならないのです。
そのときに幸せに生きられるというのは、
どういうことかわかるのではないでしょうか。』
この世界に生きるということは、本当は
もっともっと奥深くて、とても意味のあること。
謙虚に学ぶ姿勢が私たち
現代人に求められていますね。
0コメント