「綾の森」は、日本一の照葉樹林が残る場所として世界的に知られています。
1960年代、高度経済成長の中、日本中で目先の経済性が優先され、スピード社会
1960年代、高度経済成長の中、日本中で目先の経済性が優先され、スピード社会
の大きな流れが全盛であり、各地で自然豊かな森林が伐採されていきました。
宮崎県綾町の照葉樹林も、一人の町長がいなければ、伐採されていたでしょう。『雑木林がなければ、豊かな川の水は生まれない。
川がダメになれば、海もダメになる』
そう言って、綾の国有林に目をつけた日本パルプ(現在の王子製紙)や
川がダメになれば、海もダメになる』
そう言って、綾の国有林に目をつけた日本パルプ(現在の王子製紙)や
熊本営林局、林野庁の圧力に屈せず、命がけで森を守り通したのが、郷田実さん。
過疎が深刻化し、「夜逃げの町」とまで呼ばれていた当時の綾町で、30代に町長となった郷田さん。
綾町を「有機農業の町」、「照葉樹林の町」として全国に知らしめるようになります。
そのきっかけは、照葉樹の山に分け入り、森を通して自然の本質を理解したことで、
「生態系農業」という着想を得たこと。
『健康な野菜を作る町になろう。きっと健康を買う時代がやってくる。
人が豊かになれば、高度経済成長で豊かになればなるほど、健康回帰が
やってくる。
健康な野菜を作るということは、健康な土を作ることだ。』
『よーし、健康を買う農業の町になろう。
自然の生態系、自然の恵みに近い農業の町になろう。
手作りの町、本物を作る町になろう。』
2000年春、郷田さんは惜しまれつつ世を去りました。
その功績は森の保護にとどまりません。今では、人口8千人ほどの町に、
自然の生態系、自然の恵みに近い農業の町になろう。
手作りの町、本物を作る町になろう。』
2000年春、郷田さんは惜しまれつつ世を去りました。
その功績は森の保護にとどまりません。今では、人口8千人ほどの町に、
年間120万の人が訪れます。
40年以上も前から有機農業の町を標榜し、自然を壊さない本物づくりを
目指したことで、全国的に有名になり、この町に憧れる人々が定住しています。
郷田さんの意志を継いで未来に伝承していく照葉樹林文化の担い手たち。
日本自然保護協会(NACS-J)が「綾の照葉樹林プロジェクト」を
行っており、まとまった照葉樹林帯を官民共同で復元する取り組みも進んでいます。http://www.nacsj.or.jp/katsudo/aya/
自然と寄り添う新しい暮らしを模索する私たちには、この綾の人々の暮らしぶり
は一つのヒントとなることでしょう。
(2012年7月11日、宮崎県綾地域に広がる国内最大
の照葉樹林がユネスコの「エコパーク」
に登録されることが決定。国内で5ヶ所目)
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