『こぼれ幸いという優しい感性を持つ』

出版界では「アラウンド90」ブームが起きて
いるといいます。

柴田トヨさん『くじけないで』、
渡辺和子さん『置かれた場所で咲きなさい』


”なぜ、人は100歳の言葉に共感するのか?
「普通に生きる」お手本が欲しい”
http://diamond.jp/articles/-/21541



お年寄りの生き方に共感が集まるこの現象には、
「普通に生きにくい」という現代の空気
反映されていると思います。

今の居場所で自己肯定感や自尊心を感じられない
人が多く、「今の居場所でいい」「平凡な人生でもいい」
と背中を押してほしい。

そう考えて本を手にする
人が多いのでは
ないでしょうか。

厳しい就職難の時代、やりがいや自分らしさ、
人のつながりが感じられないような仕事に就かざる
をえないケースもままあります。

『誰の役にも立ってないんじゃ、何のために生きて
いるかわからない』
、など自己肯定感を得られない
まま、仕事を辞めてしまう人もいます。



変動の時代において、満たされない思いが
溢れる
であろうことを理解しながら、
夏目漱石の句
を思い出します。

『菫(すみれ)ほどな小さき人に生れたし』

司馬遼太郎は、この句に漱石の「悲しみ」
感じ取り、『文学の基本が、人間本然の悲しみの
表出であることは、いうまでもない』
と述べました。

戦後、ひたすらに経済成長を目指してきたその陰で、
どこかに置き忘れた健気さや無私の美しさ


現在70歳を超える人々は、戦争で焦土と化し
文字通り何もなくなった日本を一から再生させる
ことに人生を合わせて、ひたすら一所懸命に
生きてきた方たちで、多くは無名で善良な縁下の
力持ち
でした。

変化の著しい中で、小さき菫のように一所懸命
生きてきた無名の人々が日本を支えてきた
こと
を覚えていたいものです。



江戸時代の言葉に「こぼれ幸い」がある。

『自分たちのいる世界が永遠でないのを知っている
からこそ、偶然の出会いや、巡り巡って訪れた
小さな幸せを大切にする。
そんな優しい感性がこの国のヒトにはあった』


この時代に生きた我々の先祖である小さき庶民たちは、
日々の営みの中でほんの束の間訪れるわずかな幸せ
に、充足できる心を持っていた
といいます。

現代日本の多くに見られる、とかく利己を
優先させようとする小我、小欲
を反省
したいものです。

その謙虚さに立って、社会に役立つ大我の
流れにつながる
ことに取り組んでいこうと
思います。


”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”