学校を卒業した翌年の2001年、結婚を11月に控えていた。
私は婚約者の彼女に、新婚旅行についてある提案をした。
それは、ミチオさんの足跡をたどるような旅をしたいこと、場所は
カナダ・クイーンシャーロット島、南東アラスカやフェアバンクスで、
12月は相当寒いかもしれないが、きれいなオーロラを見ることができるかもしれないなど話し、彼女は了解してくれた。
ところが、9月11日にあの凄惨なテロ事件が起きた。
その後米国では厳戒態勢がひかれ、日本国内では海外旅行への取りやめが
その後米国では厳戒態勢がひかれ、日本国内では海外旅行への取りやめが
相次ぐなど、アラスカに行こうと考えていた私達にとって、とても
厳しい状況であった。
結局、シアトル経由でアラスカに入るのを取りやめ、バンクーバーからに
変更して旅に出発。12月9日から約3週間、妻と二人でのアラスカの旅。
振り返ると、この旅は当初期待していたもの以上になっただけでなく、アラスカの大自然の素晴らしさと、そこで知り合うことのできた素敵な友人達や
動物たちへの愛しさを深く心に刻むことができた思い出に残る旅となった。
プリンスルパート、クイーンシャーロット島、フェアバンクス、
ケチカン、シトカ、どの土地でもそこで出合った町の人たちは親切に
してくれた。
もともとこの時期、南東アラスカはシーズンオフということもあって、
町では日本人はもとよりアジア系の人をほとんど見かけることはなく、
自分たちが歩いていると同じモンゴロイドへの共感からなのか、
声をかけてきては誰もが暖かく接してくれた。
様々な人たちとの出会いの中には、偶然とは思えないような出会いやできごとがいくつもあった。
クイーンシャーロット島で、ふとしたことから一人の島に住む
音楽家に会った。
彼は、島の中にある小島の一つに小屋を建てて住んでいて、今日はカヌーを何時間も漕ぎ続け、作ったばかりの音楽CDを
街へ売りにきたのだといっていた。
話を聞いてみると、”地球交響曲第3番”の撮影に協力したことが
あり、その際龍村監督をガイドし、ミチオさんのことも
彼から聞いたと言っていた。
冬季のため残念ながら”朽ちていくトーテムポール”を見に行くことは
できなかったが、トーテムポールを製作しているハイダ族のお爺さんと
知り合うことができ、ハイダの人々が集まる集会場に特別に連れて
いってもらえた。そこでは失われつつあるハイダ語をなんとか守り、自分たちの文化を
子孫にきちんと伝えてゆこうという試みが行われていた。
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