『人間の命を支えているもの』

1986年4月、ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ
原子力発電所
で起きた大規模な事故は、世界中の
多くの人々に衝撃を与えました。


















そのとき大気中に放出された放射性物質は広島原爆
の500倍
にも及び、北接のベラルーシでは人口の1/5近い
約2百万人が被爆
したといいます。

汚染地域では、年月が経つ内に癌になる人々が増え始め、
とくに子どもの白血病と甲状腺癌が急に増えました。

長野県諏訪中央病院の鎌田實先生
らの医療専門家
グループが、1991年からこの子どもたちを救う活動を開始。

そのきっかけは、ソ連崩壊直前の国内混迷の中で
現地から、「助けて」と悲痛な要請を受けたことでした。

鎌田先生らを現地で迎えたソ連科学アカデミーの
クズネソフ教授
は、以下のような挨拶とともに一行を
迎えました。

「ひとりの子どもの涙は、人類すべての悲しみより重い
と、 ドストエフスキーが言っているが、チェルノブイリの
子どもたちは今、泣いています。

しかし悲しいことに、私たちロシアの大人たちは、
この子たちを救えません。
日本の人に期待しています。助けてください」



ベラルーシの病院では、医療スタッフの水準は高い
に、財政難ゆえ白血病治療のための設備も薬も
なかった
のです。

そのため、日本でなら救える子も救うことができない
という厳しい現実がそこにありました。

その後「日本チェルノブイリ連帯基金」が立ち上がり、
会費や寄付を基に、治療に必要な抗がん剤や輸血バッグ
、無菌装置など約6億円分
を現地の州立病院に送ります。
また、医療チームを70回以上も派遣。

これにより、入院した子どもたちの生存率も飛躍的に
向上したといいます。

その間、日本の医療関係者と、ベラルーシの患児、
家族や医療スタッフとの深い交流から、様々な
"人間の絆"
が生まれました。

鎌田先生は絵本「雪とパイナップル」(集英社)で、
患児と日本人医療関係者との心を通わせ合った
日々を綴っています。


アンドレイ・マルシコフ君

彼が生後6ヶ月の時、原発事故が起きました。

母親は、息子を乳母車に乗せて毎日新緑の公園
を散歩
死の灰が降っているなどとは知らずに。

10年後、アンドレイ君は急性リンパ性白血病を
発症
します。通常の抗がん剤治療では効果のない
難治性の白血病でした。

ゴメリ州立病院と日本からの医療チームが連携して、
少年のいのちを必死につなぎとめようとする
厳しい闘い
が始まりました。

患者自身の血液や骨髄から、白血球を再生してくれる
幹細胞を取り出して戻すことにより白血球を増殖させる
移植医療を行い、アンドレイ君の病状は一旦
かなり良くなり
ます。

しかしやがて再発し、治療によって安定しても、
また再発。

そして、抵抗力がなくなっていき、2000年7月、
14歳
で生涯を終えました。


鎌田先生は、それから2年後、リンゴの花が咲き乱れる
5月、アンドレイ君の母親のエレーナさんを訪ね、
感謝の言葉とともに心温まるエピソードを聞かされます。

骨髄の移植後、熱と口内炎で食事の取れない
アンドレイ君に、日本から来ていた看護師のヤヨイさんが
「何なら、食べられる?」
と何度も聞くと、
アンドレイ君は小さな声で「パイナップル」と答えました。

寒い雪の国で一度だけ家族で楽しくパイナップルを
食べたのが忘れられない記憶
になっていたのでしょうか。

ヤヨイさんは氷点下20度の厳冬2月に何日もかけて
パイナップルを探し回りました。

しかし、経済崩壊の最中にあるベラルーシでは、
容易に見つけることができません。

日本の若い女性がベラルーシの子どものために、
パイナップルを探している
という噂が町に広まり、
缶詰を持っている人から病院に届けられました。

そして、アンドレイ君はパイナップルを食べられたこと
がきっかけとなり、食事がとれるようになって、
少しずつ元気になっていったのです。

エレーナさんは、その不思議な出来事を回想して、
「あるはずのない、パイナップルを探して雪の街を
歩きまわってくれた彼女のことを考えると、わたしは
人間ってあったかいなって思いました。

わたしはアンドレイが病気になってから、なぜ、
わたしたちだけが苦しむのかって、人生をうらみました。

生きている意味が見えなくなりました。


でも、ヤヨイさんのおかげで、わたしのなかに、
忘れていたものがよみがえってきました。

それは感謝する心でした。 

わたしたち家族の内側に、新しい希望がよみがえって
きました。」


この言葉を聞いた鎌田先生は、こう言いました。

「人間の命を支えているものが何か、少し見えた。
少なくとも、最先端の技術だけで人間の命は
支えられていないのだと思った。

人間ってすごい。

溢れる悲しみのなかで、人間は感謝することができる。

人間は国境を越えて、民族が違っていても、
宗教が違っていても、文化が違っていても、
歴史が違っていても、理解しあえる」
 

私たち人間が、生きていくうえで決して欠かせないもの
その一つは "ぬくもり" なのでしょう。

温かな思いやりや愛にふれたとき、その人は
生きていく勇気や元気が満ちてくるのだと思います。

大きな感謝の念
と共に。



















”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”