『クッキーの香りは子供時代の記憶を呼び覚ます』

「記憶は・・・・心の貯蔵庫である」 
(トーマス・フラー 『聖なる国家と俗なる国家』)

私たちの懐かしい思い出や恐ろしい記憶は、
時間や場所、またはその経験を含むあらゆる
感覚とともに、完全に呼び起こすことができる
「記憶の痕跡」として、脳に残されます。

 


















神経科学者たちはこれをエングラム(=動物の
脳内に学習によって蓄えられていると仮定される
記憶の痕跡。

細胞内の核酸やタンパク質などの高分子中に
暗号化されていると考えられている) と呼んで
います。

しかしエングラムとは概念に過ぎないのか、
あるいは脳内の神経細胞の物理的なネットワ
ークなのか
は分かっていませんでした。

2005年、光遺伝学(オプトジェネティクス)という
実験手法が導入されます。

この手法は、標的とする神経細胞のオン/オフ
を光照射で制御可能にする技術
で、光を受けて
細胞を活性化させる機能を持ったタンパク質を、
遺伝子組換えにより神経細胞に強制的に発現
させます。

マサチューセッツ工科大学「RIKEN-MIT神経回路
遺伝学センター」 の利根川進教授の研究室
は、
マウスの脳の特定の神経細胞を光で刺激して、
特定の記憶を呼び起こさせることに成功。

脳の物理的な機構の中に記憶が存在することを
初めて実証
しました。 


同研究室の博士研究員シュ・リュウ(Xu Liu)と
大学院生スティーブ・ラミレス(Steve Ramirez)は、
「この新しい技術により、記憶の符号化と保存に
ついての仮説を直接検証できると考えました。

通常必要とされる知覚に頼らず、記憶を人為的に
活性化し、個人的記憶など、つかの間の現象すら
脳の物理的機構の中に存在するという証拠を
実験的に提供したい
」と語りました。

それは19世紀のフランスの作家で、「失われた
時を求めて」
を執筆したマルセル・プルースト
が、かつて大好きだったマドレーヌ・クッキーの
香りから子供の頃の記憶を呼び覚ました理由
の解明
につながるものでした。

物語は、ある日語り手が口にしたマドレーヌの味
をきっかけ
に、幼少期家族そろって夏の休暇を
過ごしたコンブレーの町全体の記憶が鮮やかに
蘇ってくる
というもの。

その当時暮らした家が面していたY字路のスワン
家の方とゲルマントの方という2つの道のたどり
着くところに住んでいる2つの家族たちとの
関わりの思い出の中から始まり、自らの生きて
きた歴史を記憶の中で織り上げていく
という
お話。

研究グループは、マウスが新しい環境について
学習しているときだけ活性化した海馬の中の
脳神経細胞群を特定
。 

さらに、どの遺伝子が活性化したかを同定し、
この遺伝子と、光遺伝学で使われる光活性化
タンパク質「チャネルロドプシン2」の遺伝子を
結合
します。 





















次に、海馬体歯状回の脳神経細胞にこの結合
した遺伝子を導入したトランスジェニックマウス
を作製し、その細胞を小型の光ファイバーを
通して光で刺激
できるようにしました。

このトランスジェニックマウスをある環境におき、
探索的な動きを数分間続けさせた後、足に
軽いショック
を与え、マウスはこの環境は
ショックが来るぞということを学習します。

この学習のために活性化した細胞は、ChR2で
標識化されます。

これは、特定の経験に対応した特定のエング
ラムに関わる神経細胞の物理的なネットワー
クを標識化する
ことになります。

その後、別の環境にマウスを移し、標識化した
細胞に光パルスを与えると、「もとの環境と
ショック」の記憶に関係する神経細胞はオンの
状態となり、マウスはたちまちこの記憶の最も
顕著な兆候であるすくみ(不動でうずくまった
姿勢)
を示しました。

光で誘発されたすくみは、マウスがこの環境で
ショックを受けたという記憶が実際によみがえ
った
ことを示すもので、人為的に呼び起こされた
ものです。

博士研究員シュ・リュウは「私たちの実験結果
は、記憶がまさに特定の脳神経細胞に存在
する
ことを示しています」と語ります。

また、「光のような物理的手段で特定の細胞を
単に再活性化すると、全ての記憶をよみがえ
らす
ことができます」と説明しています。




















これは、ペンフィールド博士が偶然得た観察
結果である、「心は物質に基づく」という仮説
を検証するため、改めて綿密に計画した21世
紀の実験ですと語っています。

また、16世紀のフランス哲学者が書いた「我思う、
故に我あり」
に触れて、「ルネ・デカルトは、心が
自然科学で研究できるとは信じていませんでした。

しかしデカルトは間違っていました。

この実験法は、記憶の想起のような心の現象
が物質の変化に基づいていることを実証する
究極的な方法です」
と語ります。

哲学者は長い間疑ってきましたが、心が自然科学
によって研究できることを改めて証明しました。

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”