「成長は、それ自体が目的ではないし、GDPは
豊かさの尺度として欠陥が多い。
重要なのは環境保全も含めて、すべての市民
の生活の質や福祉水準を高めることです。
だからこそ所得の分配と、誰が政策の恩恵を
受けるかということに、私たちは敏感でなければ
いけません」
豊かさの尺度として欠陥が多い。
重要なのは環境保全も含めて、すべての市民
の生活の質や福祉水準を高めることです。
だからこそ所得の分配と、誰が政策の恩恵を
受けるかということに、私たちは敏感でなければ
いけません」
ノーベル賞経済学者、ジョセフ・スティグリッツ教授
の言葉。
深刻な不況からなかなか立ち直れないアメリカで、
富裕層と貧困層の格差が史上最大に広がっている
ことが分かったそうです。
昨年のアメリカでは、上位10%の世帯の所得が
総所得のほぼ半分を占めました。
貧富の差が拡大する米国で、上位1%の最富裕層
の収入が2012年、国民全体の19%を超し、大恐慌
前年の1928年以来最大の割合となったことが判明。
上位10%の収入は全体の48%を占めた。
AP通信が米カリフォルニア大バークリー校などの
分析として報じたものです。
投資による利得に課税する資本利得税の増税を
前に、最富裕層が駆け込みで株式などを売却した
ことが一因。
12年は最富裕層の収入が20%増加したのに対し、
国民の99%は収入が1%しか増えず、格差が
一層鮮明になった。
同年に上位1%を占めた最富裕層の年収は39万
4千ドル(約3900万円)超で、上位10%の富裕層は
年収11万4千ドル超。
中谷巌さん(三菱UFJリサーチ&コンサルティング
理事長)は、「グローバル資本主義という、人間の
欲望が造りだす怪物が幅を利かすようになった社会」
に警鐘を鳴らしました。
そのような社会の行く末がどんなものであるか、
現在の米国の姿からよくわかります。
中谷さんはかつて小泉内閣での一時期、
「構造改革、規制緩和が必要だ」と声高に主張して
いました。
米国帰りの気鋭の経済学者として、「構造改革」や
「規制緩和」を主張する側にありました。
やがて、大阪大や一橋大の教授、国の経済戦略
会議の議長代理。平成11年にはソニーの社外
取締役に。教授からの転身は話題となり、名前は
広く世間に知れ渡ります。
「米国のような自由競争が日本社会を豊かに
するはず」そう思っていた中谷さん。
ところがある時期を境に揺らぎ始めます。
「構造改革で人々は幸せになったのだろうか?」
そんな疑念がわいたのは、21世紀に入ってから。
気がつけば、フリーターや派遣社員など働けども
生活が楽にならない「ワーキングプア」と呼ばれる
人たちが増えていました。
「格差社会」が広がっていたのです。
自分の中で積み重ねてきたものが、ぐらつき始めます。
何が、違ったのか?
その答えを見つけるために、当時学長を務めていた
多摩大学で、経営者養成講座を立ち上げ、自らも
聴講します。
心理学者の河合隼雄氏ら、経済以外の分野の
専門家を積極的に講師に招いたユニークな内容
でした。
そこで、助け合いの精神や社員が一枚岩になれる
ことなどの日本の美質が、実は国際競争力を
高める大きな要因となるのではと気付かされたと
いいます。
”太平洋戦争での敗戦後、日本を統治したGHQ
のマッカーサーは、日本人から歴史・地理・修身
(道徳)の三教科を実質的に廃止します。
神話など日本人の精神性につながるものは
教えられなくなり、その結果、日本人は歴史・
文化・宗教から離れた国民となっていきます。
かつて江戸期までの日本には「武士道という
道徳教育」がありました。
新渡戸稲造先生は、武士道には「ノーブレス・
オブリージ」(身分にともなう義務)があり、
「自己責任」、「他者への配慮」、「義務の遂行」
があることを著しました。
日本文化の特色は、自然と共存共栄した縄文
時代が一万年続いたこと、神仏習合など巧妙な
仕組みを持っているため独自の宗教観を持って
いること、権威と権力の分離による柔軟な社会
を形成したこと、庶民の当事者意識が高いこと
、が挙げられます。
日本の外国との付き合いは「日本化プロセス」
の連続であったといえます。
その「換骨奪胎」は吸収と付加価値を本質と
します。それ故に安定的、長期的な視点が
養われました。
今後は文明基盤がブランド力を決めていくこと
でしょう。”
以前は米国型経済社会の礼賛者だった中谷さん
は、原日本への回帰を始めているようです。
自然を収奪するのではなく、自然の一部として
営みを行うこととによって、人間も豊かになる暮らし
を行っていた縄文時代の父祖たち。
「山を育てれば海も育つ、水は自然に流れれば
清められる」と、国土の多くを山林として保ち、
自然の水や空気、光のもたらす豊かさを大切に
してきたかつての日本人の生き方。
約300年前、元禄年間に来日したフランス人は、
「子育ては日本の最大の美徳で、到底外国人の
及ぶところではない」とまで激賞。
160年前の文政年間に、来日していたフィッセルは
「日本風俗備考」の中で、次のように述べています。
「私は親子の愛情の交流こそが、日本人の特質
であると考えている。
この密接な関係は、死ぬまで誰も引き裂くことは
できない」
子供に対するこうした親の愛情が、田舎町に至る
まで貸し本屋とおもちゃ屋を繁盛させていました。
幕末に黒船を率いて来日したペリーも、日本の
幼児教育の素晴らしさを賞賛したといいます。
西洋人にとって、このような親子の愛情の交流の
深さは驚きだったことでしょう。
そして、西洋人に驚きと感嘆を与えたものを、
かつての日本の人々は持っていました。
自然を育てつつ豊かに共存する、家族・子供を
大切にするという日本人本来の生き方が
見直される時代となりました。
単純に昔に還れという意味はなく、古いもの
の中にも価値を認め、良いものを活かしつつ、
現代に適合させる工夫を図ることが求められて
いるのではないかと思います。
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