「江夏の背番号は28だった。江夏は完全数を
背負った選手だった」
■阪神時代の1971年7月17日オールスター
ゲーム第1戦。
”9者連続奪三振”
■広島時代の1979年11月4日近鉄バファロー
ズとの日本シリーズ最終第7戦。
1点リードの9回裏、無死満塁のピンチを0点
に抑え、広島を日本一に導いた。
”世にいう「江夏の21球」”
前者は大記録、後者は後世まで
記憶に残るもの。
背負った選手だった」
■阪神時代の1971年7月17日オールスター
ゲーム第1戦。
”9者連続奪三振”
■広島時代の1979年11月4日近鉄バファロー
ズとの日本シリーズ最終第7戦。
1点リードの9回裏、無死満塁のピンチを0点
に抑え、広島を日本一に導いた。
”世にいう「江夏の21球」”
前者は大記録、後者は後世まで
記憶に残るもの。
9者連続奪三振について、「牙――
江夏豊とその時代」(後藤正治著)に
現場の様子が描かれています。
「1回裏、有藤、基、長池とすべて
空振り三振。
2回裏、江藤、土井と空振り三振。
東田は外寄りの真っ直ぐを見送った。
バッテリー以外、球は来ない。
内野陣は三振を取ったあとのボール
回しをするだけである。
ベンチに帰ると、監督の川上哲治は
江夏にこう声をかけた。
「おい、もう野手はいらんな」
9連続三振――。
ttps://www.youtube.com/watch?v=_etdt8EGC_Q
「人はな、決してひとりでは生きられへん」
稀代の大エース、江夏豊さんは波瀾万丈の
人生を過ごしてきた中、投手・江夏豊として
は一匹狼だったのが、人間・江夏豊はひとり
ではありませんでした。
盟友である衣笠祥雄さんの存在はとても大き
かったといいます。
1967年阪神にドラフト1位指名された江夏に
対して、球団が入団前に提示した背番号は
「1」,「13」,「28」。
自らがつける背番号をどのように選んだのか?
江夏は作家小川洋子さんとの対談で、
次のように語っています。
「僕は完全数なんてもちろん知らないし、
”末広がりで縁起がいいか”というくらいの
理由で 「28」番にしたんです。
13番は、”十三の金曜日”という訳でも
ないけれど、なんとなく避けました。
1番はつけたかったけれど、あえて
やめました。
当時の僕にとって、1番はあくまで鈴木啓示
(近鉄) の背番号なので、真似したく
なかったんです。」
小川洋子著「博士が愛した数式」は、事故の後遺症
で記憶が80分しか持続しない博士と、家政婦と
その息子「ルート」とのふれあいを描いた作品。
この中で、博士の記憶は事故にあった1975年
(江夏、阪神最後の年)でとまっています。
ルートから「江夏はトレードされたよ」といわれ、
博士は「なんてことだ。江夏が縦縞にユニフォーム
以外を着るなんて…」と髪をかきむしります。
そして、ルートは自分が生まれる前の
江夏について調べます・・・
完全数とは、その数自身を除く約数の和が、
その数自身と等しい自然数のこと。
例えば、28(=1+2+4+7+14)や496、33550336、
8589869056などが完全数。
江夏の背番号は28でした。
自身は知らずとも、彼は完全数を背負った
選手だったのですね。数霊を思います。
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