32歳の時、屋久島の深い森で危うく遭難しかけました。
翌33歳、長野県での森林間伐の際には上から突然
落ちてきた倒木にあわや直撃を受けるところでした。
ヘルメットの上部をかすった音は、今でもはっきり
思い出せます。
思い起こすと、幼稚園の時にはトラックにはねられた体験
があります。前頭部左には今もその傷跡が残っています。
翌33歳、長野県での森林間伐の際には上から突然
落ちてきた倒木にあわや直撃を受けるところでした。
ヘルメットの上部をかすった音は、今でもはっきり
思い出せます。
思い起こすと、幼稚園の時にはトラックにはねられた体験
があります。前頭部左には今もその傷跡が残っています。
生きていることは、決して当たり前でないという自覚。
私の周りには、人生における不意の出来事に遭ったことで、
自分がこの世で生きている時間は限りあるものだと、
自覚されている方が多くいます。
スティーブ・ジョブズは生前こういいました。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やる予定の
ことを私は本当にやりたいだろうか?」
そのことを自分自身へ常に問いかけている、大変素敵な人々
がいます。
「中村天風人間学 われわれは地球という生命体の中の
一つである」を著された、作家の神渡良平先生。
照隅会主催の「神渡良平人間学」で学長講師を
してくださっています。
http://syoguukai.jimdo.com/
新聞記者、雑誌記者
を経て独立。 取材国は50数カ国に及びます。
かつて38歳の時に脳梗塞で倒れられ、右半身不随と
なりました。
闘病生活中、「人生はたった一回しかないこと、
またどんな人にもなすべき使命があって、
この地上に送られていることを痛感し、この宇宙には
大きな仕組みがあり、それに即した建設的で前向きな
生き方をしたとき、実りある人生が築けること」に
目覚められたといいます。
多くの人が目の前の危機への対応や生活を
守るために、多くの時間を費やしています。
そんな状況にあっても、 「人生は二度なし」という
言葉を思い浮かべることができれば、
まさに今日、まだやらなければいけない、
多くのことが浮かんでくることでしょう。
大切なことは、いまどう評価されているかではなく、
これからどう評価されるか。
「日本外史」を著し、江戸時代後期の歴史家・思想家
・漢詩人として知られる、頼山陽。
幼児時から文武両道に精進し、12歳にして「立志伝」
を著しました。若くして蘇東坡を耽読し、詩文に
おいて其の天分を現し、著書「日本外史」は代表的な
歴史書として位置付けられ、幕末の尊皇攘夷派に
多くの影響を与えています。
書名を「外史」としたのは、「在野の人、草莽が、
自己の責任と見識によって、自由に書いた歴史と
いう意味」であるといいます。
司馬遼太郎は、山陽の「日本外史」を高く評価
しました。「この一書が幕末を動かしたとさえ
言いたくなるほどである」(「この国のかたち」)
山陽は、「立志之詩」で十四才の正月を迎え、
十三年の歳月を振り返り、人生の何たるかを考え、
自らの大望を詠いました。
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