「ぼちぼちでええやんか、まあそこそこでええやんか。
正しいことは伝わりにくいけれど、楽しいことは伝染
する。
のめりこむことは結局は失敗に終わるけれど、
のめりこむことが若さというもの、失敗というむだも
ゆとりの一つ。
必要最小限だと忘れたときに困る。全部覚えるのは
忘れてもだいじょうぶのユトリのため。」
正しいことは伝わりにくいけれど、楽しいことは伝染
する。
のめりこむことは結局は失敗に終わるけれど、
のめりこむことが若さというもの、失敗というむだも
ゆとりの一つ。
必要最小限だと忘れたときに困る。全部覚えるのは
忘れてもだいじょうぶのユトリのため。」
数年前に見たNHK「こころの時代・アーカイブス」。
数学者の森毅先生が登場して、自らが思われる
様々なことを語っていました。
その中で「心の中の生態系を大事にしなければ
ならない」 と言った言葉は、私の中に強く飛び込んで
きました。
森先生は、京都大学の数学科を卒業後、北海道大学
の助手となります。29歳で京都大学へ移った後、
数学者として34年間にわたり教鞭を執り続けます。
独特のユーモラスな語り口で評論家としても活躍、
社会、文化、人生など幅広い分野について、
数多くの著書を生み出してきました。
1991年、63歳で京都大学を退官した時、他の大学から
誘いを受けましたが、それらをすべて断ります。
その後はフリーの立場で、コラムやエッセイの執筆、
講演活動などを続けながら、 新しいことに取り組んで
きました。そして2010年7月に82歳で亡くなりました。
京大の教授だったころ、授業で出席をとらなかった
そうです。ある時、出席をとってほしいと学生が
言ってきました。
単位取得に出席を考慮してほしいということらしく、
森先生はそこでこう答えたそうです。
"「よっしゃ、出席してないヤツは少々答案の出来が
悪くても同情するけど、出席したくせに出来の悪い
のは容赦なく落とすぞ」
学生は黙ってしまったそうである。
自身、学生のころよくサボった。
父親には「学校を休んだ日は、学校へ行くより
充実した一日を送れ」と言われていたそうだ。」
発言はしなやかで飄々、ときに過激でもあった。
だが姿勢は一貫していた。
「新しいことを始めるには優等生だけではだめ。
突拍子もないことを言い出すのは、大抵は
スカタンですわ」
森さんの言葉には、はみ出しがちな人への愛情
が言葉の端々ににじんでいる。
入学から就職まで最短で駆け抜ける今の大学に、
さぞ苦言は多かったに違いない。
「予定通りの人生なんてそうあるもんやないよ」
享年82。
あの柔らかい関西弁がどこからか聞こえる気がする。"
(朝日新聞・天声人語 2010.7.27)
あまりにも効率化を求める企業、社会に合せるか
如くに教育現場でもそれを推奨する空気に、
森先生の「予定通りの人生なんてそうあるもんや
ないよ」という言葉が心地よく聞こえます。
「心の中にある多様性を大切にしたい」と退官後に
こう言いました。
"本来、僕は、「心」という時にあんまりなんか
「心を傷付けられた」とか、「心が届く」とか
というのは、あまり気にいらんですよ。なんか
有物的な気がして。
心というものはもっとわけのわからんものですけどね。
「心という舞台の中で、自分は生きている」という
感じなんですよ。
その心の中には、若者だから若者の心だけでなくって、
年寄りの心もあるし、それから外国人の心もあるし、
男でも女性の心があるし、それを舞台の中で
生きている、というイメージがありましてね。
若い頃、歌舞伎フアンだったせいもあるんですけどね。
「心の舞台の中にはいろんな奴がおって、生きている
んじゃないか」と。
「心」というのは一種の生態系みたいなもので、
二年間の時間とか、五年間の時間とか、そういう
いろんなのが重なり合って生きているわけです。
それから人間にすれば、年寄りもあればいろいろ
ある、と。"
「心の中にはさまざまな種類の時間感覚がある」
との言葉は、生態系を織り成す一部として大変
興味深いものがあります。
そして、21世紀に、多様性の中で上手に生きていく
コツとして、森先生は「社交」 というキーワードを
挙げました。
これまでの日本社会は、「みんな一緒、心を一つに」
という仲間内の協調性が重視されてきました。
しかし、「これからは仲間でない異文化の人たちと
上手に付き合っていくための社交性が必要になる」と。
”京都は結構これ古いようで外国文化の流入が盛んな
街でしてね。
けっこう外国人の人が別にジャパニーズ趣味で
なくて、よく受け入れられている歴史がありましてね。
だから外国文化はまあ一番極端ですけど、
「そういうのはどういうふうに取り込めるか」と
いうのがすごく大事ですね。
京都というのは古いようで、けっこう京都の古い
お爺さんさん・お婆さんなんかで、アーチストの人が
けっこうそういう新しいものに対して関心を
持つんですね。
だから異文化だから逆に関心を持つ。
「このごろ、人間の心を生態系のように考えて、
環境問題の発想でとらえることにしている。
そこには、さまざまの生物たちが生きて、それぞれに
時間感覚が違ったままに、それぞれの生き方を
主張しながら、全体としての環境系を生きている。
心の世界というものでも、さまざまの時間感覚を
共生させるのが、心のエコロジー」
(「心のエコロジー」中日新聞)
ちなみに当ブログの題、「こころの生態系づくり」
は、尊敬する河合隼雄先生と森先生がそれぞれ
人間の持つ心についておっしゃったことを強く
意識しながら、有り難く使わせていただいている
ものです。
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