小野田寛郎さんが昨日、都内の病院でお亡くなりに
なりました。91歳。心よりご冥福をお祈りいたします。
私は自然環境保全の師匠である、C・W・ニコルさん
が「名誉大英勲章」を受けた際、2005年11月に
開かれた英国大使館での叙勲式に出席、その場で
小野田さんにお目にかかりました。
なりました。91歳。心よりご冥福をお祈りいたします。
私は自然環境保全の師匠である、C・W・ニコルさん
が「名誉大英勲章」を受けた際、2005年11月に
開かれた英国大使館での叙勲式に出席、その場で
小野田さんにお目にかかりました。
太平洋戦争時、情報将校としてフィリピンへ派遣された
小野田さんは、終戦後も任務解除の命令が届かない
ことから、ルバング島の密林にこもっていました。
1974年3月、任務解除命令を受けてフィリピン・
ルバング島から帰国。
その後は、親族を頼って1975年にブラジルに移住して、
牧場を開業。また「小野田自然塾」を開設、ルバング島
での経験を基にキャンプ生活を通した野外活動で
ボランティアの育成などにも尽力されました。
少年時代、小野田さんは和歌山県海南市の海や山で
遊ぶ中で生き方を学びました。
そんな自身の経験をモデルに、自然の中でのキャンプを
通して子どもたちに自分の強さを自覚させようと決意します。
「戦争に敗れて自信を失った日本人は、利口だけど
リスクをとらない腰抜けになってしまった。
親が腰抜けだから、子どもが育たない。
子どもに自分の強さを気づかせるきっかけを作りたかった
んです。」
そして日本へ行き来しながら、84年に山梨県で初めて
自然塾を開きます。全国各地で活動し、91年には福島県
塙町にキャンプ場を作り、指導した子どもは2万人に
上りました。
自然塾を始めて後、小野田さんは自殺の多さに胸を
痛めました。
2013年秋に出版した著書「生きる」の締めくくりで、
「どんな小さなことでもいいから目標を見つけることだ。
その実現のために生きることだ。死を選んではならない」
日本人への遺言を書ききれていない。
まだまだ伝えたいことがあるんですと晩年までいわれて
いたそうです。
晩年は、「人に迷惑を掛けず、家族の手を握って
死ぬのが理想。幼なじみに最期に会えるから日本で
死にたい」と語っていたそうです。
私は大使館でお会いできた際、少しお話を交わさせて
いただけたのですが、
「今の子どもたちが自然からどんどん離れてしまっている
のが気がかりです。自然から得られるものはとても
大きいのです。」とおっしゃいました。
「僕は日本の子どもたちには、一度目標を持ってことに
立ち向かったら、簡単に諦めない、執念深く、しぶとく、
くじけずに頑張ってほしい。
そして誇りを持って、優しい日本人であってほしい」
その後、私は縁をいただいて地元の柏市で子どもたちに
”未来を生きる力を学ぶ” 「サス学」を教えるよう
になりました。
その教えの精神のもとには、一期一会で頂いた
小野田さんからの激ましがあります。
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