『友情に機知を働かした天才軍師』

大河ドラマ「軍師官兵衛」

今回は、篠浦伸禎先生(都立駒込病院・脳神経外科部長)
による脳タイプ分析
では、右左の両3次元を使いこなした
という天才型の参謀、竹中半兵衛の機知が働きました。


物事の本質がみえると共に、現実の変化にも的確に
対応
した半兵衛の静かなる友情。

官兵衛と半兵衛の友情は、殺伐とした戦国時代に
あって特筆すべきものでした。

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織田信長に謀反を起こした、有岡城の荒木村重を
説得しようと単身で乗り込んだ黒田官兵衛


無謀といえば無謀。

それでも当時、智謀湧くが如し、といわれていた
官兵衛は自信満々でした。

中国攻めに当たって、周辺の武将を味方に付けたのも
自分だし、その前の御着城の評定で小寺家を信長に
従わせたのも自分であるとの自信が、
己の頭脳と弁舌に対する過信につながっていたのでしょう。

その半面、危険を承知で出向いたのは、決死の態度と
誠意を見せれば知己の村重にきっと通じるはず
との清い思いもあったことと思います。

城内で捕縛された官兵衛の消息は不明となり、
信長は「官兵衛は裏切ったのだ」と激怒。

官兵衛の息子・松寿丸(後の黒田長政)の殺害

秀吉に命じます。

ここで機知を働かしたのが、竹中半兵衛


困りはてた秀吉は半兵衛に相談、
半兵衛は「自分にお任せください」と言い、
松寿丸を殺したと偽って、密かに自分の居城から
近い五明で匿って
いました。

もちろん、このことが信長に知れれば
半兵衛も命が危ない、主君に背く危険な行動です。

しかし半兵衛は官兵衛が裏切るとは思えず、
彼を信じていた
のです。

一年後、官兵衛は幽閉されていた有岡城から
救助
されます。

てっきり殺されてしまったと思っていた息
子の松寿丸は、半兵衛の措置によって生きていました。

官兵衛の喜びと感謝は、計り知れなかったはず。

しかし、息子の命を救ってくれた半兵衛に、
官兵衛が感謝を伝えることはできませんでした。

このとき、半兵衛は既に肺病のため、
36年の若い一生を終えてしまっていたのです。


官兵衛は、半兵衛のこの措置を知ると涙を流して、
偉大な友の死を悼みます。
そして、助け出された松寿丸はこのことを非常に
感謝し、竹中家の家紋を貰い受けます。

半兵衛の嫡子、竹中重門は後に黒田長政と共に
関ヶ原で活躍
徳川家康より美濃岩出山6000石を安堵され、
代々継承しました。
http://www1.nhk.or.jp/kanbe/index.html

「天下最も多きは人なり。
最も少なきも人なり。」
(黒田如水)

(世の中には、
数え切れないほどの人がいます。

しかし、たくさん人がいても
自分にとって重要な仕事を
任せられる人材は少ない。
 
また、能力だけでなく、
人格も含めて本当に良い人材は
少ないものなのです。

だからこそ、人の上に立つものは
優れた人材を探し、
もし出会うことがあれば
自分の仲間になってもらえるように
万策を尽くさなければなりません)

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”