『人間を根底で支えているもの』

「人間はどう在ろうとも、どんな処にでも、
どんな形ででも、平常心を、秩序を、
文化を捜さなければ生きて行けぬ。」
(小林秀雄「鐔」)


「鐔」は昭和37(1962)年に書かれた、
小林秀雄60歳時の随筆。

人間の情動を考えていたら、頭に
浮かんできました。

応仁の大乱という乱世にあって、乱心を
以て処することのできない刀工の
「止むに止まれぬ人心の動き」
「平常心」「秩序」、そして人間の「文化」
にまで広げて語る表現のおおらかさ

実感できる作品。
















2013年のセンター試験(国語)に出題
されて
話題となりました。

国語の平均点が(200点中)100点を割り込み
その原因として、この文章が難解で現代の高校生
には読みにくかったためではないか
との意見が
見られました。

一方で、ゆとり教育の副産物として、何でも
「わかりやすく」、「内容削減」を目指した結果
ではないか
という意見も別にありました。


山折哲雄さん(国際日本文化研究センター
名誉教授)
は、センター試験に出題された
ことを、「プラスの意味でのささやかな異変」
と評価


「難解といわれるだけあって受験生の正答率
は低かったが、なぜ出題されたかを考えたら、
もしかすると3・11(大震災)の影響かも
しれません。

小林秀雄の文章は、人間とは何か、
人間いかに生きるべきかを問うもので、
そこが見直されたのだとすれば「希望」が
感じられます。

本当の教養というものは、後から身に付く
ものではない。

人間を根底で支えているのは、一人ひとり
が生まれたり育ったりした大地や自然
――いわば『原風景』なのではないか。

そのことに気づかせてくれるのが
小林秀雄の文章です。


我々の世代だと彼に強いシンパシーを
感じますが、戦後は段々それが希薄に
なってきていました。

しかし国際化が進み3・11も経験した今、
日本の大学で教える若い世代がそういうこと
に気づくようになったのだとすれば、
あまり悲観すべきじゃないのかな、と感じた
わけです」


「あら楽や人をも人と思はねば
 我をも人は人と思はぬ」
 

桃山時代の代表的な鐔工といわれる信康が
作った鐔にそう彫られていたといいます。

この彫られていた文句を、小林秀雄は
見事な表現をあてました。

「これは文句ではない 鉄鐔の表情だ。

眺めていれば鍛えた人の顔も
使った人の顔も見えて来る。

観念は消えて了うのだ

感じられて来るものはまるでそれは荒地に
芽を出した植物が
やがて一見妙な花をつけ花を結んだ
その花や実の尤もな心根のようなものである。」

















”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”