『一朶の白い雲』

土曜日、「サス学」フィールドワークで子どもたちと
歩いた東大の構内。改装中の安田講堂の前に
大楠
の樹がありました。

大地を包み込むよう
に大きく枝を広げ、お釈迦様
がインドで悟りを開いた際の菩提樹の木陰
は、
こうであったのではと思うほど。


帰路、大楠の姿を電車の中で思い返しながら、
司馬遼太郎さんがかつて書いた「坂の上の雲」
の文章を頭に浮かべていました。

「子規について、ふるくから関心があった。

ある年の夏、かれが生まれた伊予松山の
かつての士族町をあるいていたとき、
子規と秋山真之が小学校から大学予備門
までおなじコースを歩いた仲間であったこと
に気づき、ただ子規好きのあまりしらべて
みる気になった。

小説にかくつもりはなかった。
調べるにつれて妙な気持ちになった。



「彼らは明治という時代人の体質で、前をのみ
見つめながら歩く。
登って行く坂の上の青い天にもし一朶の白い雲
が輝いているとすれば、それのみを見つめて
坂を登って行くであろう。」


日本騎兵を育成し、中国大陸でロシアのコサック
騎兵と死闘をくりひろげた秋山好古
『男子は生涯一事をなせば足る』

東郷平八郎の参謀として作戦を立案し、日本海海戦
でバルチック艦隊を破った秋山真之
『成敗は天にありと雖、人事を尽さずして、天、天と云うこと勿れ』

病床で筆をとり続け、近代俳諧の基礎を築いた
正岡子規
『美しき花もその名を知らずして文にも書きがたきはいと口惜し』

そして現代の子どもたちは、これから人生の坂道を
時に上り、時に下り、志を持って社会とつながり
どのような共創を見せてくれるのか。

その楽しみのためにも私たち大人は過去と未来を
つないでゆく役割を果たして
いかねばと思います。


















”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”