「諸君はきのうの専門家であるかもしれん。
しかしあすの専門家ではない」
司馬遼太郎さんの名著「坂の上の雲」(五)で、
児玉源太郎(日露戦争で満州軍総参謀長)が、
第三軍の参謀たちに言った言葉。
しかしあすの専門家ではない」
司馬遼太郎さんの名著「坂の上の雲」(五)で、
児玉源太郎(日露戦争で満州軍総参謀長)が、
第三軍の参謀たちに言った言葉。
専門的知識があるがゆえに陥りやすく、それは
致命的なミスを生むもの。
専門家であるとの自負が、「木を見て森を見ない」
という目の曇りをつくります。
「自分は知識を多く持つ」という過信、それは
「その知識は永久に年をとらない」という錯覚に
陥りがちになりやすいもの。
世の中は日々変化しているということを疎かに
しがちとなり、先に得た知識で満足しがちになります。
行動力、実行力がない組織は、得てしてこのような
風潮が幅をきかせているもの。
それを是とするものは、「変化」という小さなリスク
に怯えて「イエス」と言えずに「ノー」の理由ばかり
思いつくものです。
「坂の上の雲」第四巻の後半から旅順交戦が
描かれています。
有名な203高地争奪戦。203高地は作戦上の名前
ですが、後にこの名をもじって爾霊山(にれいさん)
と名付けられることになりました。
攻略を担当した第三軍の能力の欠如から、非常に
大きな犠牲を余儀なくされた闘いとなりました。
司令官は乃木希典。参謀は伊地知幸介。
「伊地知幸介は頑なだった。参謀には参謀の仕事
があると、危険を伴う前線視察を行わないまま、
安全な柳木房の司令部にこもって作戦を立てた。
乃木将軍がこの伊地知参謀に対して無力であった。
彼は司令官なのだから、命令を出せる立場にいる。
しかし、この頃から「参謀=特殊能力者」という
幻想が軍のなかを渦巻いていたのだろう。
これは太平洋戦争やそれに先立つノモンハン戦争
で同様の悲劇を生む要因になる。」
「「第一線の状況に暗い参謀は、物の用に立たない」
と、切るようにいった。
さらに、「大庭」と、乃木軍の中佐参謀の名をよんだ。
大庭は椅子を蹴って立った。
「いまから二、三の参謀を連れて前線へゆけ。
前線の実情をよくつかんでこい。
あす、わしもゆく。その時報告をきく」と言ってすぐ、
「なにをぐずぐずしている。すぐゆけ」と、いった。」
「児玉にいわせれば、(専門家のいうことをきいて戦術
の基礎をたてれば、とんでもないことになりがちだ)
ということであった。
専門家といっても、この当時の日本の専門家は、
専門知識の翻訳者にすぎず、追随者の悲しさで、
意外な着想を思いつくというところまで、知識と精神
のゆとりをもっていない。
児玉は過去に何度も経験したが、専門家にきくと、
十中八、九、「それはできません」という答えを受けた。
彼らの思考範囲が、いかに狭いかを、児玉は痛感
していた。」
また、秋山真之が以前正岡子規に話していた
言葉もまた大変興味深いものです。
「たとえば軍艦というものはいちど遠洋航海に出て
帰ってくると、船底にかきがらがいっぱいくっついて
船あしがうんと落ちる。
人間もおなじで、経験は必要じゃが、経験によって
ふえる知恵とおなじ分量だけのかきがらが頭につく。
知恵だけ採ってかきがらを捨てるということは
人間にとって大切なことじゃが、老人になれば
なるほどこれができぬ」
経験の豊富なことが、反対に固定概念につながって
しまうことも多々あるということも忘れないように
したいと思います。
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