”遊びをせんとや生まれけむ
戯(たわぬ)れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ”
(子どもは遊ぶために生まれて来たのだろうか。
戯れるために生まれて来たのだろうか。
遊んでいる子供の声を聴いていると、
私の身体さえも動いてしまう)
戯れるために生まれて来たのだろうか。
遊んでいる子供の声を聴いていると、
私の身体さえも動いてしまう)
ここ一ヶ月ほど前から「遊び」について、頭の中で
あれやこれやと思い考え、それこそ楽しく遊んでいます。
あれやこれやと思い考え、それこそ楽しく遊んでいます。
そんな中で、中山元氏(哲学者,翻訳家)の話に
「なるほど」と心がにっこりしました。
「なるほど」と心がにっこりしました。
「子供たちは自分で目標を作り、毎日それに挑戦して
自分の力を試すのです。
自分の力を試すのです。
失敗すればまた明日頑張ればいいのですし、
成功したら、その目標をもう少し高いところに変えれば
いいのです。
ぼくの友人に、傾斜した石の面や石垣があると
じっと眺める癖のある人がいました。
道具も何も使わないで、どこに足を掛け、どこに手を
掛けると上まで登れるか、じっと試しているのです。
じっと眺める癖のある人がいました。
道具も何も使わないで、どこに足を掛け、どこに手を
掛けると上まで登れるか、じっと試しているのです。
登れることが確認できると、にっこりするのでした。
これも遊びがすぐに自分の力試しになり、自分の力を
高めるための挑戦になることを語るものでしょう。」
遊びという行為には、たんに遊ぶだけではなく、自分を
さらに高めようとする意志が表れることがあるといいます。
さらに高めようとする意志が表れることがあるといいます。
遊びって、本当に大事!
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