『これ義、その身より貴ければなり』

「力ある者は疾(と)く以て人を助け、
財ある者は勉めて以て人に分かち、
道ある者は勧めて以て人に教う」
 

中国古代、春秋戦国時代に現れた多くの思想家
たち。


諸子百家
と呼ばれた彼ら、及びその学派には、
儒家(孔子・孟子)・道家(老子・荘子)・墨家
(墨子)・法家(管仲・商鞅)・名家(公孫竜)・
兵家(孫子・呉子)・縦横家(蘇秦・張儀)・
陰陽家・雑家・農家・小説家
など様々に百花
咲かせました。

その中でこの時代の混乱期に、能力主義を唱え、
平等愛、専守防衛を説いて回った思想家が
「墨子」

内線、テロ、暴徒化、など世界各国での惨状を現す
報道を毎日聞く中で、「墨子」の思想に学べること
があるように想います。
 
「墨子」は、当時の戦争による社会の荒廃や殺戮
による世の悲惨を批判
し、「政治の目的は人びと
の幸福にあるが、戦争は略奪・盗賊的行為であり
、人びとに何の利益も幸福ももたらさない。

他国を奪取して利益を得たとしても、蓄積された
財貨を破壊する行為であることには変わらず、
多くの人命も失われると説き、戦争では失うもの
の方がはるかに多い」


として、他国への侵攻を否定する主張を展開した
のです。
 
その思想は瞬く間に人心を掌握し、当時の主流と
なっていた儒家を圧倒
し、戦乱下の民をまとめる
大集団
に成長します。

「墨子」は「兼愛」や「非攻」をはじめとした思想
を展開し、分業のなされた強固な学団=「墨家」
を作り上げます。

また、実践を重んじ、その思想活動は、天下全体
の利益を考える、社会的視野
に立ったものでした。

しかし、儒家と並んで一時代を築いた墨家は、
秦の天下統一と同時に、一気に姿を消します。

乱世が収束し墨子の没後、三派に分裂した集団の
影響力は急速に衰えていき、始皇帝による焚書
さらには漢の時代には、儒教が国家イデオロギー
として確立されたことも重なって、「墨子」の
思想は忽然と姿を消していきます。

以降墨子は忘れ去られ、歴史から姿を消しました。

近代、欧州の列強各国による中国侵出により、
眠れる獅子と呼ばれた、清王朝は終末に向かおう
とする混乱期に、改革派であった孫詒譲、
譚嗣同、梁啓超により再発見
されるまで、
墨子は二千年もの間消えたままだったのです。

酒見賢一氏の小説『墨攻』


二万の軍勢を相手に、僅か数千の兵でこれを守る
べく派遣された墨者、革離の活躍
を描く珠玉の名作。


(あらすじ)
兼愛・非攻などの思想を説き、墨子が築いた墨家
であるが、鉅子(きょし)の尊称で呼ばれた指導者
も、3代目・田襄子の代となると、徐々にその体質
を変え
腐敗し、権力と結びつく道をとろうとして
いた。

そんな中、大本である墨子の思想を貫こうとする
革離
は、趙軍に攻められている、趙・ 燕両国に
挟まれた小国の梁城城主・梁溪
からの依頼により
、田鉅子の命に背いて単身梁城に乗り込み、
趙の大軍を相手に梁城を守る
こととなる。

墨家の協力が得られないまま、革離はたった
一人で梁城の民をまとめあげ、巷淹中将軍
率いる趙軍を相手に奮戦する。

本来の墨子集団は、複数人からなるチームが
それぞれの専門分野を担当して守城を行っていた。

しかし命令に反する形で現地に赴いた革離は、
旧弊で固まった軍事的にはあきらかに非力な城
を、全て自分一人の指揮で守護しきらなければ
ならなくなった。

自陣に数倍する趙の大軍からの攻撃
には、邑民
4500を分けての部隊統率、穴攻戦術への対抗策、
大型抗城兵器の破壊などの指揮すべてをひたすら
不眠不休
で成し遂げ、こと戦闘においては超人的
なスペシャリスト
であることを存分に示し続ける。

しかし守城の先行きにも目処がついたかに見えた
時、思いもよらない方向から飛んできた一本の矢
が彼の運命を決することとなった。

映画『墨攻』 予告編
https://www.youtube.com/watch?v=s4IJ2GBAadk

「一言を争いて以て相殺す。
これ義、その身より貴ければなり。
故に曰く、万事義よりも貴きはなしと」

(人間は一字のために命を捨てる場合がある。
その一字とは義である。
義を失するなら命を捨てたほうが良い。
それ故、義よりも貴いものはない)(貴義篇)


「墨子」が義を貫いた
ことは、数々の逸話が
証明しています。義を通せねば死あるのみ。

一説では、信頼を受けた領主の土地を守り
切れなかった
ために、「墨子」の弟子が続々と
自刃したことも墨家の滅亡に繋がったと
いわれています。

映画「墨攻」の主人公、革離を演じるアンディ
・ラウ
。 その名演に胸が熱くなります。 



”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”