「社会に価値あること、正しいことをやっていれば
お金はついてくる。正しくないから戦略が要る」
武藤真祐氏(祐ホームクリニック理事長)の
言行一致さを記事で知り、衝撃を受けました。
お金はついてくる。正しくないから戦略が要る」
武藤真祐氏(祐ホームクリニック理事長)の
言行一致さを記事で知り、衝撃を受けました。
”クリニックでスタッフに的確な指示を与える、
高齢先進国モデル構想会議で明晰な議論
を行う、厚生労働省の分科会で発言をする―
論理的で冷静な立ち居振る舞いは、エリート医師の
イメージにぴったりと合っていた”
初めて武藤さんに会った記者たちは、勝手に想像して
いたエリート医師の姿ではない、医療現場で目にする
真の姿のギャップに驚き、感動をしています。
東大医学部で医師資格、医学博士号を取得。
米国医師試験にも合格。
循環器内科を専門とし、弱冠33歳で宮内庁侍従職
侍医として2年半にわたり天皇皇后両陛下の
侍医も務めました。
順当にいけば恐らく、「50歳代で東大教授」という
医師としてのエリート街道の頂点に向かう道筋。
しかし、充実していたものの、疲弊して構造的な
問題も露呈していた医療現場の改革の必要性
への思いを強くしていたといいます。
そこで、いったん医療から離れ期間を定めて
マネジメントを学ぶことを決めます。
「医師の潜在能力を専門職の枠にとどめておく
のは、もったいない。
専門知識に加えて総合力を高めるトレーニング
をすれば、医療現場の構造的問題の解決も
含めて、もっと社会に貢献できるのではと
思ったのです」
2006年、35歳のときに戦略コンサルティング
ファームのマッキンゼーに転職。傍らMBA
(経営学修士号)や米国公認会計士資格も
取得します。
異分野への転身ながら相応の成果を上げ、
こちらも順当にいけば安定的に数千万円の
年収を手にし続けるエリート街道。
けれど武藤氏は、いずれの道からも離れ、
小さな在宅医療のクリニックを開業する道を
選びます。2010年1月、38歳のこと。
医療界へ戻る際、自らに課した使命が3つ
あるそうです。
(1)未曾有の高齢社会を迎える日本の問題を
医療者の立場から解決すること
(2)その過程では地域の患者、家族と心から
の信頼関係を構築しヒューマンケアを実践
すること
(3)結果、現在及び次世代に希望ある社会を
創造すること
総合力を携えた医師が、社会に貢献するために
テーマにすべきは、喫緊の課題の超高齢社会
における高齢者の幸福。
武藤さんが見据えるのは、迫りくる超高齢社会
の絵図。
介護や医療を必要とする人の総数が増え、
病院のベッドは溢れます。
受給年金の額は下がり、生活が困窮する人
もあるでしょう。
家族の絆や地縁が薄まるなか独居の身となれば、
ADL(日常生活動作)やコミュニケーションの総量
は急減し、身体機能や認知機能は加速度的に
低下していきます。
寝たきりの孤独な生活に、生きることの意味を
見出せなくなる人もあるかもしれません。
その先に訪れる「孤立死」という社会問題は、
若者の未来に対する希望を砕き、この国の将来
を更に暗いものにしかねないもの。
危機感の下敷きとなっているのは、大学病院に
勤務していた折、アルバイトで往診した先で
見た情景だといいます。
「薄暗く、散らかった狭い団地の一室で、ゴミに埋もれ、
湿った布団に身を横たえた老人。
この人は家から出ることも、それどころか、布団から
出て身支度することも、誰かと話をすることもなく
多くの日々を過ごしているのだと思いました。」
身なりを整えてから病院までやってくる患者としか
相対したことがなかった武藤氏は少なからぬ衝撃を
受けました。
それは「医師としての自分にできるのは病気を治療する
こと"だけ"」という事実への困惑だったのかもしれません。
少子高齢化の進行は、病気を治す"だけ"では
患者の幸福に貢献できないという現実をさらに
色濃くします。
そのとき必要なのは、高度な構想力や問題解決力、
自由度高く患者の生活全般に関わる仕組みや
実行力。
つまり、「地位でもお金でもなく社会を変える力」。
それは武藤氏にとって、たかだか名刺に1行の肩書き
や、たかだか数億、数十億のカネと比較できるもの
ではありませんでした。
武藤氏が求めるものは、もっと途方もなく大きなもの
だといいます。
孤独感や不安に満ちた悲観的な高齢化社会の
イメージを、誰もが腹から「長生きをしたい」と願える
楽観的な現実社会へと180度転換する力。
そのためにコンサルタントに身を転じて課題解決力を
磨き、患者の生活に寄り添える在宅医療を志向し、
自らクリニックを開設しました。
「経歴がピカピカだから、「武藤さんってすごいね」
という方もいますが、今の武藤さんのすごさは、
そこから来ているのではないのではないかと思います」
とスタッフは言います。
「仕事の一番大変な部分を厭わずに引き受けながら、
自分の力を過信せず、うまく人の力を借りられることが
、武藤さんのすごいところ」
経歴を知る人からは「野に下る」と言われることもある
そうですが、意に介さないそうです。
「正しいことをやっていて、それが世の中に求められる
のであれば、自然に結果はついてきますから」、と
子どものような笑顔で言い切る武藤さん。
誰もが分かる名声がほしければ東大に残れば
よかった。
50歳になる頃には教授になっていたでしょう。
お金が欲しければマッキンゼーに残ればよかった。
製薬会社向けのアドバイジングで年収数千万円に
なったでしょう。
望めば偉くなることもお金持ちになることもできる
稀有で高い能力を持つ武藤さんが選んだのは、
全く別なもの。
それは「日本社会を変える」というより大きな夢で
あり、具体的には「人生の最後を幸せに過ごせる
社会の創造」。
6歳の時、野口英世に憧れて医師を志した武藤さん
にとって、実は夢への近道に見えています。
(参考:GLOBIS.JP掲載「大学病院、戦略コンサル
タントを経て、高齢者の笑顔を選んだ医師」)
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