『自分は自分の主人公
世界でただひとりの自分を創っていく責任者』
「いのちの教育」を信念とした教育者であり、
日本のペスタロッチーと呼ばれた、東井義雄先生
の言葉。
子供たち一人ひとりに授かっている“いのち”
の花を咲かせようとした東井先生が、
68歳の頃中学生を前にあるお婆さんの話を
したそうです。
世界でただひとりの自分を創っていく責任者』
「いのちの教育」を信念とした教育者であり、
日本のペスタロッチーと呼ばれた、東井義雄先生
の言葉。
子供たち一人ひとりに授かっている“いのち”
の花を咲かせようとした東井先生が、
68歳の頃中学生を前にあるお婆さんの話を
したそうです。
”私は主人が早くに亡くなりました。
女の子一人の母子家庭だったんですけど、
主人が亡くなってから、くず屋の仕事を続けて、
女の子を養いました。
幸い、小学校の頃は、いい子だ、
やさしい子だと、皆さんから誉めていただいて
いたんですが、中学校になってから、ぐれ始め、
とうとう中学二年の時には警察のお世話になる
ようなことになってしまいました。
あのいい子だいい子だといわれた子が、
なぜこんなことになったんだろうか、どう考えて
も分かりません。
それが偶然わかったことですが、
「いくら勉強できるからといって、くず屋の娘や
ないか」といわれたことが大きなショックに
なって、
「お母さんがあんな仕事をやってるから、
いくら勉強やったって、みんなからバカにされる」
と考え、それからぐれはじめたということが
わかりました。
しかし、このくず屋の仕事をやめてしまっては、
もう今日からの暮らしに困ってしまいます。
かといって、ただ一人の女の子が、
そんなことでは、亡くなった主人に
申し訳ございません。
長い間、ずいぶん迷いましたが、
結局私の仕事をわかってもらう以外
にはないと考えつきました。
ある時、
「お母さんが長い間こんな仕事をやって
きて、足腰が痛んで、どうにもこうにも
あの下からの坂道、家まで車を引いて
登ることができなくなってしまったんだ。
すまんけど、あの下のポストのところまで、
明日の晩迎えに来てくれないか」
「ボロ車の後押しなんかイヤだ!」
思った通り、はねつけられてしまいました。
「イヤだろうな、ボロ車の後押しなんてイヤだろうな。
でもお母さん、足腰がもう痛んで、どうにも
車があがらなくなってしまった。
頼むからあのポストのところまで、
迎えに来てくれないか」
いくら頼んでも、
「ボロ車の後押しなんてイヤだ」
「イヤだろうな、ボロ車の後押しなんて、
イヤだろうな。
でもな、6時には間違いなしに帰ってくる
からな。あのポストのところまで迎えに
来てくれんかい」
「じゃあ、6時ちょっきりやで。
すこしでも遅れたらよう待たんで」
ということで、どうにか承知してくれました。
あくる日、車を引いてポストのところまで
帰って来ると、ポストのかげに、恥ずかしそうに、
しゃがんで待っていてくれました。
そして、後を押してくれたんですが、
車を引きながら、このボロ車に顔をそむけながら、
どんな思いで後押ししてくれているかと思うと、
こんな仕事やってきて、
そして娘にまでこんなみじめな思いを
させると思うと、たまらん思いでしたが、
おかげさまで家まで車を引いて
登ることができました。
「あんたのおかげで、今日は久しぶりに
車を引いて帰り着くことができた。
明日もすまんけどな、お願いするよ」
そのあくる日も迎えに来てくれていた。
そんなことが五日ばかり続いたある日、
ポストの倍のところまで迎えに来て
くれていました。
後押しをしながら、
「お母さんの仕事って、大変なんだな!」
と叫んでくれました。
「お母さんだって、この仕事が好きなはずはない。
でも私のために、この仕事、足腰が動かなくなる
ところまで頑張り続けてくれた。
私のために。だのに私はお母さんを恨むなんて」
気付いてくれていたんです。
そのあたりから、立ち直ってくれました。
今ではおかげさまで、いい母親になって、
二人の子どもに恵まれているんですが。
と聞かしてくれました。”
この話の後に東井先生は、こう語ったそうです。
”自分を生かしてくれるものに、目が覚めてみる
とね、ぐれたりなんか、自分勝手な生きざまが
できなくなってしまうんですね。
願いの中に自分が生かされている。どうか
そのことを一つ味わっていただきたいんです。”
東井先生は、子どもたちに素晴らしい人生を
送ってほしい、自分で自分の人生を粗末にする
ようなバカな生き方をしてほしくない、という
祈りのような願いを、持ち続けていたそうです。
常に子どもの側にある教育を目指し、
命の不思議、命の素晴らしさを説いてきた
すばらしい教育者を思い、胸がいっぱいになります。
「サス学」の現場で、子どもたちに接する中、
東井先生のこの教えを大切に活かさせて
いただこうと思います。
「どのこも子どもは星
どのこも子どもは星
みんなそれぞれがそれぞれの光をいだいて
まばたきしている
ぼくの光を見てくださいとまばたきしている
わたしの光も見てくださいとまばたきしている
光を見てやろう
まばたきに 応えてやろう
光を見てもらえないと子どもの星は光を消す
まばたきをやめる
まばたきをやめてしまおうとしはじめている
星はないか
光を消してしまおうとしている星はないか
光を見てやろう
まばたきに応えてやろう
そして
やんちゃ者からはやんちゃ者の光
おとなしい子からはおとなしい子の光
気のはやい子からは気のはやい子の光
ゆっくりやさんからはゆっくりやさんの光
男の子からは男の子の光
女の子からは女の子の光
天いっぱいに子どもの星をかがやかせよう」
(「東井義雄詩集」)
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