『自分の幸せを祈るかのように、誰もが微笑みかけてくれる国』

『日本人は目に見える一切の森羅万象の
背後に、超自然の神霊を考え、山川草木
から井戸、かまどにいたるまでそれを司る
神を見る。

日本人はこの国土を創造した神々の子孫
である。

神道とは、その祖先崇拝の思想で、死ねば
霊となって子孫と国を守ると考える』




















アイルランド人の作家、教育者、ジャーナリスト
で、日本文化の紹介者として知られる
ラフカディオ・ハーンの言葉。

彼は小泉八雲としてよく知られています。

ギリシャで生まれ、明治時代に縁あって日本に
やって来た、小泉八雲は日本女性と家庭を築き、
日本の霊性とこれを育む目に見えないモノたち
を書き続け
、日本人として生涯を終えました


嘉永3年(1850)6月27日ギリシャのレフカダ島
で、アイルランド人の父と、ギリシャ人の母と
の間に生まれました。

2歳の時、アイルランドのダブリンに移ります
が、まもなく父母が離婚し、大叔母に
引き取られます。

イングランドの神学校に在学中、16歳のとき
に左眼失明、父の病死に遭い、翌年大叔母
の破産など、不幸が重なり退学
となります。


















19歳で米国へ渡り、24歳のとき新聞記者に。

ここで外国文学の翻訳、創作を発表し、
その文才が評価
されます。

1890年に特派記者として来日、松江で島根県
尋常中学校の英語教師として約1年3ヶ月を
過ごしました。

日本で目にするものの全てが小ぶりで美しく、
自然と調和していた
といいます。

『すべてが自分の世界よりもスケールが小さく、
優美な世界―

人の数も少なく、親切そうで、自分の幸せを祈る
かのように、誰もが微笑みかけてくれる世界―

すべての動きがゆっくりと柔らかで、声音も
静かな世界―

大地も生き物も空も、これまで見たことのない、
まったく別の世界―

そんな世界にいきなり飛び込んだのである。

イギリスの民話を聞いて育った想像力の持ち主
なら、これこそが、皆夢見た妖精の国の現実だ、
と錯覚してもいたし方なかろう。』





















八雲を強く惹きつけてやまないものが、
かつての日本には様々ありました。

鳥、虫の鳴き声、方向、石、柱、礼儀作法、童謡、
物売りの声、そして身近な世界の全てには物語や
云われ
が人々を通して遺されていました。

『人々は皆お日様、光の女君(めぎみ)であられる
天照大神にご挨拶申し上げているのである。

「こんにちさま。日の神様、
今日もご機嫌麗しくあられませ。
世の中を美しくなさいますお光り
千万有難う存じまする」
 
たとえ口に出さずとも数え切れない人々の心が、
そんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない』


山陰地方の霊的世界にとりわけ深い共感を抱いた
八雲。

後に妻となる小泉セツは松江の武家に出まれ、
八雲は生涯この地と強い絆で結ばれたといいます。
そして1904年に東京で亡くなります。

西欧を真似た近代化に急ぐ明治の当時にあって、
日本の進歩的知識人や教育制度の中で軽蔑され
排除されようとしている、

日本の古い民間信仰や迷信、言い伝えや風習、
昔話や神話、などのフォークロア的世界観

再評価と擁護に彼は動きました。

それはケルトとギリシアの血を引く自己の魂と、
出雲や松江などの地霊との交流であったの
でしょう。

『人間は、知識よりも幻想に頼る存在なのだ。

思索する上で、たいがい批判的で破壊的な
理性よりも、全体的にみて建設的な想像力
の方が、われわれの幸福に貢献するのでは
ないだろうか。

人間が本当に困ったときには、気取った哲学
理論よりも、粗野な人でも、危険時や困窮時
に思わず胸に握りしめる粗末なお守りや、
貧しい人の家にもご加護を注ぎ、守ってくれる
と信じられている御神像の絵の方が、実際に
心を癒してくれるものである』

















”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”