「哲学とはおのれ自身の端緒が更新されていく
経験である」
(モーリス・メルロー=ポンティ)
”鷲田さんはこの「言いよう」をずっと大事にしてきた。
一方、哲学の言葉が自分の実感の確かさになかなか
合致しないことについての苛立ちも隠してこなかった。
経験である」
(モーリス・メルロー=ポンティ)
”鷲田さんはこの「言いよう」をずっと大事にしてきた。
一方、哲学の言葉が自分の実感の確かさになかなか
合致しないことについての苛立ちも隠してこなかった。
そしてあるときから、「自身の端緒が更新されていく
哲学」は、ひょっとすると自分自身の中の強い規準に
あるのではなく、
むしろそれを崩すもの、自分から見えない「弱い方」
からやってくるのではないかと思うようになっていった。 ”
(松岡正剛「千夜千冊」より)
ここでいう鷲田さんとは、哲学者であり前の大阪大学
総長で大阪大学名誉教授、大谷大学教授をされて
いる鷲田清一氏のこと。
鷲田先生によれば、フランスの哲学の授業には
問題集があり、「心と体の関係は?」「人は絶対
嘘ついたらいけないか」といった、問いの
バリエーションがたくさんあるそうです。
その問題集に資料集が付いていて、「この問いに関して
デカルトはこう言っている」というふうに、古典も同時に
勉強できるようになっているのだとか。
日本の高校「倫理」授業でも、世界の4大文化や
孔子、イエス、ソクラテスなどを取り上げていますが、
それぞれの地域の思想史といったかたちで、その
教説をじっくり知識を考えさせ、教えてはいない状況。
教養の基礎となるものを考え続けると、その考えたこと
を文章化、表現する力は、哲学の最も大事なベースで
あることがよくわかります。
さて日本では、先日行われた衆議院選挙は52%(小選挙
区52.66%、比例代表52・65%)という戦後過去最低の
投票率でした。
「多くの有権者が政治全体に対して冷たい無関心、
冷めた批判、そういう姿勢を示したことになる」と
ある評論家は言いました。
私たちの税金から約700億円かけられた今回の選挙。
国民有権者のうち半分が参加することを放棄した中
で、安倍首相は公約全体に理解を得られたとの認識
を示しています。
これに対して、早稲田大の田中愛治教授は
「自民党の獲得議席は多かったものの、
投票率が52.66%で(自民の)得票率が五割に
満たなかったことを考えると、すべての政策に信任を
受けたとおごれば落とし穴があり得る。多様な民意
に耳を傾けることが大事だ」と話しています。
「最近、政治家と経済界のリーダーを見ていて正気なのか
と思うのは、この期に及んで、経済成長という言葉を使う
ことです。
もうこれから2040年代までに、人口がどれだけ減るか
はわかっているわけです。社会の縮小をやるしかない
のです。
そして、社会を縮小するとなると、取捨選択をしなければ
なりません。
私が思うに、高度成長期を生きて、それしか経験して
いない人々は、子孫を心配しない人たちだということ。
明日、明後日と、だんだんよくなっていくので、何か事が
起きても、次の世代は技術も発達しているし、今、
抱えている問題も全部解決するだろうと考えるわけです。」
を見て、急激な右肩上がりが続いた
のは、20世紀だけです。
その他の定常社会では生きている人々は、何か
起こったら飢えるという心配を持っていたと
鷲田先生はいいます。
ところが、今の政治経済の中枢、リーダーになっている
人というのは、基本的に子孫の心配をしない時代に
生きてきたから、あれだけ借金が膨らんでも成長戦略
を連呼し続けている状態。
「これからの日本の子どもの世代、次の世代のため
を考えれば、老人世代、高年齢世代にかかっている
コストを削る以外にはないですよ。
だから医療、年金、介護の予算を削っていかざるを
えない。政治家もそれはわかっていると思います。
わかっているけれども、決断できない。
だから教養の核にあるものは勇気かもしれない。
今の日本には、勇気をもった政治家がひとりもいない。
みんな調整家になりたがる。
学問の世界でも、勇気の発動をみる機会がまことに
少なくなっている…。」
鷲田先生がいうには、フランスにはずばり「哲学」という
名前の授業があるそうです。
「面白い話をしますね。
1980年代に、フランスのリセ(フランスの後期中等教育
機関。日本の高校に相当)で哲学の勉強をどういう
ふうにやっているかを調べたのですが、文系の大学に
進む子は週8時間哲学の授業を受けていました。
理系の大学に行く生徒でも、週3時間哲学が必修に
なっていました。
当時の政府が、一度、哲学の授業を選択化しようとした
のですが、哲学者を中心に猛反対が起きて撤回させられた
そうです。
今でもリセでは哲学の授業が必修で、高校でも分厚い
テキストを使っています。そして、フランス国立行政学院
(ENA)という、高級官僚や政治家のほとんどが出ている
大学院があるのですが、その卒業条件の中には、
哲学論文の執筆が含まれていると言われます。
のは、20世紀だけです。
その他の定常社会では生きている人々は、何か
起こったら飢えるという心配を持っていたと
鷲田先生はいいます。
ところが、今の政治経済の中枢、リーダーになっている
人というのは、基本的に子孫の心配をしない時代に
生きてきたから、あれだけ借金が膨らんでも成長戦略
を連呼し続けている状態。
「これからの日本の子どもの世代、次の世代のため
を考えれば、老人世代、高年齢世代にかかっている
コストを削る以外にはないですよ。
だから医療、年金、介護の予算を削っていかざるを
えない。政治家もそれはわかっていると思います。
わかっているけれども、決断できない。
だから教養の核にあるものは勇気かもしれない。
今の日本には、勇気をもった政治家がひとりもいない。
みんな調整家になりたがる。
学問の世界でも、勇気の発動をみる機会がまことに
少なくなっている…。」
鷲田先生がいうには、フランスにはずばり「哲学」という
名前の授業があるそうです。
「面白い話をしますね。
1980年代に、フランスのリセ(フランスの後期中等教育
機関。日本の高校に相当)で哲学の勉強をどういう
ふうにやっているかを調べたのですが、文系の大学に
進む子は週8時間哲学の授業を受けていました。
理系の大学に行く生徒でも、週3時間哲学が必修に
なっていました。
当時の政府が、一度、哲学の授業を選択化しようとした
のですが、哲学者を中心に猛反対が起きて撤回させられた
そうです。
今でもリセでは哲学の授業が必修で、高校でも分厚い
テキストを使っています。そして、フランス国立行政学院
(ENA)という、高級官僚や政治家のほとんどが出ている
大学院があるのですが、その卒業条件の中には、
哲学論文の執筆が含まれていると言われます。
勇気のない教養というのは、役に立たない教養だと
いわれる鷲田先生の言葉が心に響きます。
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