『身を省みることの大切さ』

”身ひとつで独学する心は、おのずと「天」
に通じている。「天」が助けてくれなければ
、独学は実を結ばない”


先日読んだ本の中にあった興味深い一文。

前田英樹さん(立教大学現代心理学部教授)
が書かれたものでした。













西洋の近代とは、自然を科学の力でねじ伏せ
ようとしてきた時代。


科学はあらゆるものを数の論理に置き換えて、
「物に有用に働きかける」ことを目的にしました。
自分の都合に合わせて、自然を利用する思想

一神教的な思いにある二項対立という、人間が
自然を克服
しようとする考え。

これは人と人、国家同士の争いにもつながるもの
で、「力」を強くするための社会であり、技術開発
あり、強者と弱者を生み出し格差をもたらすもの
でした。

それに対して、国土の多くを自然に囲まれてきた
日本人
の場合、「克服する」ではなく「折り合う」と
いうことを大事に
してきたのがよくわかります。

この「折り合う」ということは、「調和する」ことにも
つながる
ものであり、項は対立する二つに限らず
いくつもある
というヤオヨロズや多様性を大切に
してきた民族の思いの源
として感じられます。














前田秀樹さんの一文にはこうもありました。

”人は自然に逆らっては何もできない。
大工にしても、すべては生きた木との相談ずくで
しか仕事はできない。
木の命に入りこみ、木に協力してもらうのだ。

これは学問でも同じである。
対象への愛情がないところに学問というものは
育たないと私は思う。

対象を愛する気持ちは、結局は「天を敬する」
気持ちから来る。神様に従うように自然のありよう
に慎重に従う”


対象への愛情を持つことで、共創が生まれる

いう考えに深く共鳴できます。

”このことを、二宮尊徳は「水車」の例え話でとても
うまく語っている。

水車は水の流れに沿って回っている。
それが回るのは、半分は水が落ちる力によるが、
あとの半分は水を押し上げて上がってくる水車の
働きによる。

人が自然の助力を得るのは、こんなふうにしてで
ある”





















論語の一節を思い出します。

”曾子曰く、
「吾日に吾身を三省す。
人の為に謀りて忠ならざるか。
朋友と交はりて信ならざるか。
習はざるを伝ふるか」と”


曾子曰く、
「わたしは毎日(次の三つの事がらについて)
何度も反省している。

人の相談相手になって、考えてやるとき、
真心を尽くさないことがありはしないか。
友人と交際するのに、信義に欠けることが
ありはしなかったか。

(先生から教わったことで、自分がまだ)
習熟していないことを(人に)教えるようなこと
はなかったか」と
) (『論語』・旺文社)















身を省みるということの大切さ

恥じるのは、身ひとつの自分を偽る心があるから

身ひとつの自分にいつも誠実に素直に帰る
ことの大事さを思います。

字では人の間と書く通り、私たち人間は
人と人との関係の中で様々なやりとりをしています。
そしてそこから多くの喜怒哀楽が生まれる。

私は今、「サス学」を通してふだん小学4年~
中学2年生の子どもたちと接して
います。

彼ら彼女らへの愛情は十分であっただろうか?
学ぶことの喜びを感じる手伝いができていたで
あろうか?

そう省みるとまだまだ十分ではない感じます。

もちろんそれは子どもらを持ち上げたり、増長慢
にさせるようなものでなく、その中に燃えようとする
いのちに対する愛情

学び合う一瞬一瞬を大切に、自然と向き合い
敬していこう!


”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”