『夕焼けて西の十萬億土透く』

今日の夕空は、 西の空が真っ赤に色付いて
とても綺麗な様。

ベランダから日没前のひと時、空を見惚れて
いました。 



















『夕焼けて 西の 十萬億土 透く』
(山口誓子)

京都市出身の山口誓子は、高野山に宿泊した際
この句を詠みました。

西方十萬億土とは、阿弥陀仏がいるとされる
苦しみのない安楽な世界。

西の十万億土の彼方にあり、苦しみのない
安楽な理想の世界
とされています。

間の臨終の際、山を越えて五色の雲に
乗った阿弥陀如来が、二十五菩薩を引き連れて、
浄土へと導いてくれるという「来迎思想」














私はかつて27歳の時に一人で訪れた高野山
地で、「国宝 阿弥陀聖衆来迎図 三幅」
目にしました。

阿弥陀如来を中心に諸聖衆が楽器を奏でながら、
往生者を迎えにくる情景
を、三幅の大画面に
描いた来迎図の傑作。

阿弥陀如来が住む西方の浄土は、人が死後に
往生したいと願う、浄土教思想の極楽浄土


高野山(真言宗)では、現世、即ちこの世の浄土
(弥勒浄土)が高野山
であるという信仰が、
弘法大師入定信仰の中に生え、「兜率の浄土」
という独自な展開を示しました。

高野山霊宝館で「阿弥陀聖衆来迎図」を見つつ、
私は興教大師覚鑁上人のことを思いました。

1134年3月、宗祖弘法大師の三百年御遠忌大法要
営まれ、覚鑁上人大伝法院座主、金剛峯寺座主
選任されます。

その後、勅命によって諸国の名師を訪ね、真言諸派の
秘奥を探り、宗学を大成
されました。また、永年の京都
東寺の支配から離れ
て、高野山の独立を達成され、
文字通り真言宗団を中興されました。

このような改革を良く思わない一部の僧侶の激しい反対
にあい、争いが大きくなる中、覚鑁上人は座主を降り、
1140年、和歌山県北部の根来山に移られます。

















そして、この地で代表的著作となる「五輪九字明秘密釈」
を著されます。

これは当時流行していた他力往生の浄土思想に対して、
密教の本質と、密教の阿弥陀観とを表明し、加えるに
五輪曼荼羅、即身に往生をとげることを論証
されたもの
といわれています。

さらに覚鑁上人は、「凡夫は差別的に考えるから、
弥陀の念仏一門に固執するけれども、仏の世界は平等
であり、曼荼羅の世界であるから、一門の法さえ成就
すれば、おのずから普門の万徳が体得される」
という、
いわゆる「弥陀即大日」の理論を確立されました。

その後、これを慕う学徒が全国より集まり根来は学山
として栄え
ます。



















1143年7月、風邪で病床につかれた覚鑁上人は、
12月12日円明寺にて、坐禅の姿をとり、衣の中で秘印を
結び、口に真言を唱え
ながら、眠るが如く往生された
いわれています。49歳。

そして1690年に東山天皇より「興教大師」の諡号を
賜わりました。

仏教は、今から2500年ほど前にインドでお釈迦さま
悟りを開かれ、仏陀となられたことを出発点としています。
つまり仏教とは、その「仏陀の教え」ということ。

その教えは、修行によって人間の苦しみを解決する教え
でもあります。その意味で、仏教とは「仏陀になるための
教え」
といえるものです。

覚鑁上人真実一路の通り、正と邪を峻別に分けて
仏教徒としての使命を全うした生き方
であったと思います。

    
 














   


”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”